2016年02月22日のツイート
@prisonerofroad: "一つ失敗。真田昌幸が上杉景勝に出仕した際、直江兼続が景勝に「殿」と呼びかけていました。本来は「御屋形様」と呼ぶべきところで、これは台本チェック段階の見落としでした。反省です。" / “大河ドラマ…” URL #history #study
@prisonerofroad: "この抗争は、この年(天正10年〈1582〉)10月末まで、5ヶ月にわたって展開されていきます。現在、学術的にはこの争乱を「天正壬午(てんしょうじんご)の乱」と呼んでいます。" / “大河ドラマ「…” URL #history #study
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: なので、いつも頭を悩ませています。まあ、僕は腹を括ったら「押し通ります」というタイプなので、口にするほど気にしてはいないのですが(笑)。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: それに完璧に時代考証しようとしたら、撮影現場にすべて立ち会わないといけません。そうなると、無職じゃないとできない(苦笑)。パイロット版を拝見して、問題に気がついても、再撮影をするのは非常に難しい(過去に例はありますが)。「今後はこうして下さい」…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 戦国じゃないですが、高尾先生が江戸幕府の将軍が一人称に「俺」を使っている事例を指摘されていますが、暴れん坊将軍以外で「俺」と話させたら多分大変なことになります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 話し方もそうで、僕が講義・講演で掴んでいる感覚だと、戦国の言葉にしてしまうと、「今、なんて言った?」ってなるだろう、って容易に想像がつくんです。今の大学生、「家臣」と聞いてもすぐにピンと来なかったりするんですね。答案用紙で「下臣」という誤字をよ…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 今回の真田丸では、可能な限り新しい成果を取り入れて頂いています。そこが難しいところで、「自分の知っているものとは違う」という結果に転んじゃうこともあるんですね。この点、いろいろ議論して、理解を得る工夫に頭をひねっています。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 時代考証の仕事というのは、さじ加減が難しいです。実は多くの方のイメージされている言葉や習俗って、江戸中期くらいをベースにした「架空の産物」つまり「時代劇の作法として作り上げられてきたもの」であって、研究の進展で明らかになってきた戦国の実態とは結…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 問題は、信繁の解放時期が不明であるという点で、そのあたりを三谷さんがうまく料理して下さったという感じです。これは沼田の件についても同様。まあ小諸城衆も、滝川一益とともに伊勢に帰国するのですが、そこはお芝居という事で。
@prisonerofroad: RT @nonodidababanoh: 疫病神・真田昌幸が仕えた人々・武田家(滅亡)・織田家(本能寺)・滝川家(壊滅)・北条家(滅亡)・上杉家(西軍に付いて敗北)・豊臣家(滅亡)・西軍(敗北)#真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: これが若き日のばば様か… #真田丸 URL
@prisonerofroad: 9件のコメント URL “織田―徳川はいつ「対等」から「従属」になったか?/戦国時代の「天下」って何??「真田丸」考証者のツイートから - Togetterまとめ” URL #history
@prisonerofroad: RT @1059kanri: しかし考えてみれば、真田昌幸が欲しかっている力を全て持っていて、しかもどんどん拡大していくのが、彼がかつて三方ヶ原で追い詰めた徳川家康なんですね。これは屈服するか生涯対立するかの二択になる関係だなあ #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: ああ、昌幸がろくでもないことを考えたおかげで天正壬午の乱が始まってしまうw #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 家康「家来になった覚えはない。織田が勝手に家来扱いしただけ」 割と正しいw #真田丸