2016年04月04日のツイート
@prisonerofroad: 2件のコメント URL “第47回 深夜、眠りながら自覚なく食べまくる謎の病 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト” URL #health #science
@prisonerofroad: RT @kirinosakujin: ご紹介御礼。大河ドラマ「葵三代」から拡がった三成の出で立ち。島津の退き口の生き残りで三成本人を間近で実見した人物の手記に書かれているので、時代考証的には、こちらを採用したほうがいいのではと思います。黒田長政の兜に近いか。 URL…
@prisonerofroad: RT @kanbarajirou03: あと桐野作人先生のご指摘で有名ですが、石田三成のあの鎧はデマです。関ヶ原の時は、黒縅の鎧に、水牛の角立ての兜という出で立ちでした。TVドラマの影響でああなったらしいです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: なお、昌幸が黒い四角形の旗を背に出馬していましたが、あれが信綱以来の真田家当主の馬印になります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: @metabo_oyaji 敦盛の「人間五十年」は、時間の流れのゆるやなかな天上世界(「下天」)と比べると、人の世は一瞬に過ぎないという意味で、人生五十年ではありません。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: @viguruzz え、と。「豊臣」は「源」「平」「藤原」と同じ本姓なので、「の」をいれないとおかしいのです。苗字はあくまで「羽柴」。「源頼朝」は「みなもとのよりとも」と読むでしょう?
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: @metabo_oyaji 平均すると早死にするのは確かですが、それは子供の死亡率が高いためで、老人はちゃんといます。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 次回から豊臣秀吉編に突入します。放映された予告は、第一話の予告と同じで「今後の真田丸」ですので、数回分がまとめられていますので、注意。なお、劇中の台詞で「豊臣秀吉」が出る時は「とよとみのひでよし」になります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: この点、北条の緊急動員令では15?60歳が対象なので、この文書も思い込みからそのように読まれていましたが、元長野県立歴史館館長の井原今朝男さんが正しい読みを指摘し、解釈が変わりました。たしかに、武田勝頼は長篠敗戦後、13歳前後の子供を動員してい…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: つまり、緊急動員令によって15?60歳は既に越中出陣が決まっていたため(後方支援が主任務ですが)、それ以外の人間を集める緊急動員令を重ねて出した、ということです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 通常、百姓を動員する時は(これ自体が異例)、15?60歳が対象となります。これが、村落の正規構成員の年齢だからです。しかし、この時上杉は越中の佐々成政を秀吉と挟撃すべく、軍勢を春日山に集めていました。ようするに、戦力が払底していたようです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 冒頭の直江兼続がかき集めた援軍ですが、8月26日付けで、上杉景勝が北信濃国衆に出した命令書を下敷きにしています。「各十五以前、六十以後与被申付」とあります。つまり、15歳以下の子供と60歳以上の老人の出陣を指示したのです。したがって、実話。
@prisonerofroad: RT @hana_taro2014: 槍を「突く」じゃなく「叩く」の表現している真田丸 まじ優秀!!!! #真田丸 #nhk URL
@prisonerofroad: RT @dennou_cassie: チェーザレはいいぞ。マンガ「チェーザレ破壊の創造者」はすんばらしい。前にも言ったけど、建物や風景の絵が片目で見ると3Dになるぞ。ドラマの「ボルジア家」も面白いぞ。同じ人物が全然違うキャラになってるのが楽しい。
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: 第一次上田合戦で徳川勢の指揮官は三河武士でも、最近領国に組み入れたばかりの甲斐・信濃の兵が数的に主力なので統制は取りにくかったと考えられる。これに石川数正出奔が重なり、徳川家は大規模な軍制改革を断行することになる。
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: 実際問題、第一次上田合戦頃までの徳川家の軍制で七千規模の兵を統一指揮できるのは家康だけで、酒井忠次や石川数正でも三千程度しか指揮できない。その後の軍制改革で漸く五千程度の統一指揮ができるようになる。
@prisonerofroad: 4件のコメント URL “「真田丸」異例の1話まるまる守城戦 上田合戦あって真田家名挙げた (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース” URL #history
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: 笠谷氏も白峰氏も矢野氏も、家康を過小評価する研究者は大体西日本の人なので、西日本の家康軽視は深刻。まぁ西日本の人から見れば、家康なんて天下を掠め取って奴にしか見れないかもしれないが。後、中年期以降の人は司馬史観に代表される家康軽視の史観に、どう…
@prisonerofroad: RT @shoko_multi: これはよく誤解されている場合が多いのですが淀殿は関ヶ原では一貫して真徳川です。戦後に毛利が籠城出来なかった理由のひとつでもあります URL
@prisonerofroad: RT @a_ri_no_ri: 大坂の陣に関して『駿府記』は徳川方の史料だからという理由で使われないことがあるが、贈答品の数や人の出入りついては、貴族の日記との合致度がほぼ100%であるため、明らかに矛盾がある「戦」の部分を除けば信用していい史料だと思う。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @toronei 関ヶ原の結果がわかった途端、京都の聚楽跡に作られたらしい城から逃亡したり、何をしていたのやらw
@prisonerofroad: RT @toronei: @1059kanri むしろ北政所のほうが、(耄碌していたという説もあるけど)かなり中途半端な対応していますよね。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @yougoha 二条城会見はいわゆる豊臣恩顧の加藤清正や浅野長晟や浅野幸長が家康の息子の舅として、徳川体制に完全に組み入れられたことを天下に魅せつけた所が最大のハイライトですね
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 淀殿にとって石田三成の行為は、妹の嫁ぎ先を滅ぼす行動であるのだから、表面的にはともかく心情的には許せないものだったと想像できます。妹の婚家が強いというのは、それだけ淀殿の威信も高まることですからね。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: というか淀殿は関ヶ原でも、数少ない親族である妹二人の嫁ぎ先がそろって東軍なのだから、東西どちらに立場が近いかなんて、直ぐ理解できるはずなのにw
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 秀吉は殆ど渾身の力を使って徳川家康を自分の体制の中に取り込み、なおかつ最大級の信頼を置いていたと考えられるのに、何故その考えが秀頼に伝わらなかったのか。ちなみに淀殿も一般に言われているのとは違い、かなり親徳川です。
@prisonerofroad: RT @lujirulujiru: 4/2の丸ノート 兼続さん描いてみました。万年筆で描いたので色が塗れなかった。さらっと上手く描けるようになりたいなあ。#丸絵 URL