2016年05月09日のツイート
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@prisonerofroad: "小笠原・木曾は完全な家康家臣にされてしまいます。昌幸だけは独立大名の立場を認められるのですが、ドラマでの、家康の家臣にされてしまうかもという昌幸の不安は、実際にもかなりの確率で存在していたのでした。" URL #真田丸 #history
@prisonerofroad: RT @ashibetaku: こないだ聞いた話。「漫画も小説も、まずストーリーよりキャラクター」という人は、実はナチュラルに苦もなくお話作りができる場合が多いので、まんま信用してストーリー作りをオロソカにしてはいけない、と。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 僕の見解も、だいたい同じものです。近代実定法の概念を中世法に持ち込むことがおかしい、という立場。 URL
@prisonerofroad: RT @toshiitoh: 真田丸、自分の力で領地を切り取る時代から、政権の「人事異動」で物事が決まる時代への転換をうまく描いていた。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: このあたり、さじ加減が非常に難しいところです。大坂を「おおざか」「おざか」ではなく、素直に「おおさか」と呼んでいるのもその一例になります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ですが、秀吉が「豊臣」姓で官位を与えられたのが、太政大臣任官時なので、どの時点から「豊臣秀吉」と呼んでいいのか、実は結構悩ましいのです。「羽柴」で通すと、「羽柴秀頼」というのは、あまりに馴染みがなさすぎる。それで、太政大臣任官を描いた今回から、…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ええと今回からクレジットが羽柴→豊臣に変わった…かな。この間の事情の説明するとややこしいのですが、「豊臣」姓というのは、秀吉の関白任官後に創出され、その後朝廷から官位をもらった羽柴一門は「豊臣」姓で官位を与えられました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ですので、秀吉が源氏でないから将軍になれなかったというのは、成り立ちません。足利尊氏の前の将軍は、親王、さらに前は藤原氏ですし。当時の政治状況のなかで、関白が一番就任しやすい状況が生じた結果に過ぎません。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 信長ですが、武田を滅ぼした=東国平定の功績で、関白か、太政大臣か、征夷大将軍か、という話が朝廷から出ていました(いわゆる「三職推任問題」)。回答前に、本能寺の変が起こり、没後太政大臣追号となるのですが。ようするに、信長が将軍になる上で「平氏」で…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 中世法の捉え方ですが、笠松宏至『法と言葉の中世史』(平凡社ライブラリー)がお薦めです。「中世の法意識」という文章は、必読。URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 村松殿が安土に人質にいって行方不明になるという話は、旧沼田藩士の書いた『加沢記』が元ネタですが、見つかったのも昌幸上洛時となっています。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: あと、堺さんの「誰」の発音に注目(^^)/
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ああそうだ。信幸は軍記類をみるとわりかし好戦的な性格だったりします。結局内政に専念する時代に生きるけど。後、意外に病弱です。93歳まで生きるけど。
@prisonerofroad: RT @takehiroohya: これに対して欧州中世では第一に裁判権が分立していて、たとえば領主と教会のどちらが優越するかよくわからない。第二に自力救済の正当性が広範に認められていて私戦に訴えたりする。これと近代の差はもちろん実力の集中度にもあるものの、権威の一元化の方が中…
@prisonerofroad: RT @takehiroohya: たとえば日本政府も実力の独占はできていないわけですよ。暴力団が手榴弾持ってたり、私も隣人を殴るくらいの実力は留保している。でもそれらは原則として不当であり、特殊な事由(正当防衛等)に該当すると国家に認定されないと正当にならない。 https:…
@prisonerofroad: RT @takehiroohya: 近代国家のメルクマールは正確に言えば「実力の独占」ではなく「実力行使の正当性認定権の独占」であるという話を思い出すなど。 URL
@prisonerofroad: RT @noyorin: 「みんな #真田丸 の乗組員です」 NHK大河プロデューサーが語る現場の熱意と一体感 URL @HikaruYoza @BuzzFeedJapanさんから
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: なお、信繁が懸命に訴えていましたが、昌幸は「出仕」をしにやってきたので、羽柴家家督ではない秀次に会っても服属儀礼は完結しません。したがって、どうしても、当主である秀吉に対面してもらう必要があった、というのが考証側からの見解になります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 今回の大河では、「中世から近世への社会の移行を描いてもらえれば」というのが私の個人的要望です。それで、中世と近世の違いってなんだろう、と考えたときに、武力行使によって物事を解決する「自力救済社会」の否定というのがありました。「惣無事令」はその説…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: もちろん、これが「絶対だ」というつもりはありません。今回の大河ドラマは、今回の時考証者の見解を下敷きに描いた部分がある、という話しです。ただ今後の話しの展開上、何らかの形で「惣無事」に触れる必要があったので、今回の時代考証陣の認識でを参考にして…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 私見については、『戦国大名の「外交」』(講談社選書メチエ)の終章で、黒田さんの見解については、『小田原合戦と北条氏』の中で記していますので、ご参照いただければと思います。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 「惣無事令」も、これと同じ理屈だと私は考えています。秀吉にとって、大名間紛争は「私戦」とみなして禁止、という前提があるものの、豊臣政権の意向に沿ったものであるならば、「公戦」と位置づけて戦争許可を出す(上杉景勝の新発田重家討伐など)というもので…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: だから本願寺証如は、「御成敗式目」の条文では処罰できない犯罪者を死刑に処したいと考えた際に、室町幕府奉行人に問い合わせて、同様の事件で死刑を執行した幕府の先例を教えてもらい、死罪を課しています。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: しかし中世の法は、関係者が自分に有利な法令を持ち出して、自己正当化を図るもので、極端な話、法令ではなく、単行命令が典拠でもよいわけです。そもそも、中世法とは、「御成敗式目」を例外として、「誰も知らない法令」のほうが圧倒的に多いわけです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ここでの問題は、中世法をどう捉えるか、という問題に収斂するものと私は認識しています。ようするに「惣無事令」が存在しないという議論には、秀吉自身が必ずしも「惣無事」の理念通りに動いていないという背景があります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ですので、この延長線上に秀吉が「法令」として「惣無事令」を出したかどうかが議論となったわけです。織田政権には北条氏政・氏直が従属しており、北条氏と敵対する大名・国衆が、「惣無事」の話を持ち出して、北条勢の侵攻を食い止めさせようという側面もあり、…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 実際の「惣無事」の初見は、天正11年のもので「信長が御在世の時のように、各々惣無事」というものです。つまり信長段階で、「惣無事」という概念があったことがわかります。ただし、これはあくまで織田政権従属大名同士の戦争を禁じるというものでした。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: もともと藤木久志氏が提唱した「惣無事令」は、関白となった秀吉が天皇の叡慮を伝達するという形式をとったというものでした。しかしその後、「惣無事」という文言が出てくる文書が、関白任官以前のものとわかり、「天皇叡慮の伝達」という定義が崩壊したのです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ただ今回の考証陣3名が「惣無事令と位置づけうるものは存在した」と認識しており、かつ「惣無事令」という法令はないとしている論者も「惣無事」という概念そのものの存在は認めており、ようは全国法令か否かという問題だからです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 中世から近世への移行として、今回敢えて「惣無事令」をいれました。御存知の方も多いかと思いますが、現在の中世史・近世史学界では、「惣無事令という法令はなかった」という見解が有力で、教科書も書き替えられました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: あ、失礼。「だいじゃうだいじん」が正確でした『日葡辞書』だと、Daijo daijin です。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 太政大臣の読みについて。これは「だいじょうだいじん」でお願いしました。天正本の『節用集』(国語辞典)、『日葡辞書』ともに「だいじょうだいじん」とあるからです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: なお真田昌幸・小笠原貞慶は、3月18日に駿府を訪れ、家康に「出仕」しています。これは「関白様御異見」によるもので、徳川筆頭家老酒井忠次が同道してのものでした(『家忠日記』)。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: なお、同じく徳川与力大名扱いになった小笠原・木曾両氏は、小田原合戦後、家康が関東に転封される際に、同時に関東に移され、事実上徳川家臣となります。この時、真田だけが与力大名から外され、独立大名化するのですが、どういう考えに基づいて運命が分かれたの…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: これは結果的に言えば、折衷案です。秀吉の政策は、意図的かはわからないのですが、「国衆」という大名領国内の自治領主を廃止していく方針があります。ですので、昌幸が徳川家臣になる可能性もあったわけです。ただ、心情としてはかなり複雑であったでしょう。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ドラマで家康が読んでいた秀吉からの書状は、現物と同じ文章のものをそのまま作成してもらいました(字の崩れ方は違いますが)。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: もともと、昌幸が上洛を渋っていたのは、木曾義昌・小笠原貞慶とともに家康配下に戻されるという情報が入っていたためでした。結果的に、「独立大名」(秀吉直臣)だが、戦時には家康の「与力」となる「与力大名」という形で落ち着きました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 飯島市之丞は、第二次上田合戦で昌幸家臣として参陣し、九度山に供奉するひとりです。これにより、昌幸上洛は天正15年正月以前から準備が進み、2月に上洛したと、年次が修正されることになりました。最終目的地は、大坂ですが、昌幸の認識としては「上洛」であ…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: そうすると、従来年未詳で、真田信之のものとされてきた飯島市之丞宛て正月四日付朱印状が、注目を浴びることになります。「今度上洛付而、別而取成之致奉公候」とあります。『信濃史料』は、真田昌幸朱印状を信之朱印状と誤記することが多く、これもその一例でし…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: しかし、2013年に出された古書店の目録に2月24日付け豊臣秀吉御内書が掲載されており、話しが変わりました。宛所は「徳川中納言殿」とあったからです。この文書は、内容から天正15年と特定できるものでした。そして文中に「小笠原并真田両人事、召上対其…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ようやく父上が上洛しました。いろいろ「悲哀」が漂った回だと思います。昌幸の出仕ですが、従来は『家忠日記』の記述から天正15年3月頃とされていました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: @a_ri_no_ri 中近世の貴族にとっての「先例」というのは、儀礼を拘束するというものというよりは、反対意見を抑えるのに都合が良いものを探し出してくるというものなので、「故実だから」というだけで拘ることはあまりないです。
@prisonerofroad: RT @Tdr_moeguti4065: Tdr_moeguti4065 後年家光の時の口宣書き換えの際の「壬生家日記」には、天正19年あたりに秀吉の奏上にて源姓とあります。しかし天正16年の聚楽第行幸の折には源家康と署名があるので、この時には秀吉による源姓下贈があったと思わ…
@prisonerofroad: RT @Tdr_moeguti4065: Tdr_moeguti4065 この聚楽第行幸の時に家康は源家康と署名しており、秀吉から源姓を下贈されたと思われます。家康の源姓改姓は「家康の自主性によるもの」との解釈もありますが、私は「秀吉の贔屓による下贈」と思っています。
@prisonerofroad: RT @Tdr_moeguti4065: Tdr_moeguti4065 因みに昨日の真田丸でようやく上洛した昌幸は、官位を貰っていないので、この時の行幸には参加していないようです。
@prisonerofroad: RT @Tdr_moeguti4065: Tdr_moeguti4065 そして臣従後も秀吉が一番贔屓&厚遇しているのは家康一人です。後陽成天皇の聚楽第行幸は後に改易される信雄の次に家康という官位です。官位面からだと秀長と同格ですか、表立っては家康を上座に扱っています。諸大名の…
@prisonerofroad: RT @Tdr_moeguti4065: 家康が秀吉にとっていろんな意味で特別なのは、上洛=臣従を催促している扱いが他大大名とは違う。妹を嫁がせ・官位を遡って整え・母を人質に・前夜に宿舎を「待ちわびて」訪れた。こんな扱いしているのは家康一人です
@prisonerofroad: RT @Tdr_moeguti4065: Tdr_moeguti4065 関東移封が秀吉による家康を警戒していたと言われますが、奥州仕置きを秀吉と連絡を取りつつという条件は在りますが、家康に一任しており蒲生氏郷や浅野長政も家康と連絡をとるようになっています。つまり家康は関東以…
@prisonerofroad: RT @musicapiccolino: 茂誠:わしの贈った匂い袋が、まさか きり殿の 角質化した かかとに負けるとは! #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 秀吉が太政大臣になったことについて、お寧の前と茶々の前とで態度が全然違ったのが面白かったなあ。素直に出世を喜んでくれる人の前では素直に感情を出して、茶々の前ではあえて権威権力に執着しない姿を見せて格好を付けたかったのだろうか #真田丸
@prisonerofroad: RT @bankolan: おかえり姉上〜 #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 今回の #真田丸 で印象的だったのは、信繁が昌幸に秀吉を「信長家康に劣らない人物」と説明していた所で、つまり信繁は、今の時点で家康を信長秀吉と比肩しうる人物と評価しているのか、と意外に思いました。
@prisonerofroad: RT @hmmr03: @hmmr03※※しかし「おまえ国衆レベルなので本領安堵はするけど近隣大名の与力な」に納得できずに反逆したのが肥後の諸国人であり豊前の宇都宮(城井)一族である #nhk #真田丸 #軍師官兵衛
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 天正14年当時大谷吉継には大病の記録はないそうですURL
@prisonerofroad: RT @delete_masinCT: @1059kanri なまじ太閤殿下(もとい秀吉ファミリー)と接してしまったが為に、豊臣の現有する力の現実と、真田の一族としての誇りとの間で鬩ぎ合いになってますね。パッパはそれに直面して燃え尽きた一面も見られましたが、信繁はまだ若いから何…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @delete_masinCT 板挟みになるのは信幸の役割なのに、ここでは逆ですね。それも信繁の成長なのでしょう
@prisonerofroad: RT @1059kanri: ちなみに史実では逆で、真田昌幸は駿府の家康に挨拶してから上洛しました #真田丸
@prisonerofroad: RT @tou_ri: @1059kanri 誤解を招くので、できれば訂正いただければと思います 吉継の病については確実なことが言えないのが現実ですが、逸話や軍記ベースでなければ状況証拠として「文禄三年以前に大病の記録はない」ので
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @tou_ri なるほど、そうなのですね!ありがとうございます!
@prisonerofroad: RT @tou_ri: @1059kanri それは「確か」とは言えません。それ以外に宣教師の記録を含めて証拠がない。仕事を休んだ形跡もありません。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: そういえば真田昌幸の上洛が天正15年ですから、この前年に、例の「大谷紀之介(吉継)が千人斬りをしている」という噂が流れていますね。何らかの病気をしていたのは確かなようで #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 大谷さんいい人や(´;ω;`) #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 信幸「我らは生まれてくるのがいささか遅すぎた」ちょうどいいくらいだと思いますよ?w#真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 本当に、常に不穏なおっさんですなあ昌幸w #真田丸
@prisonerofroad: RT @a_ri_no_ri: @a_ri_no_ri 信濃は家康に、からの小笠原、真田の与力発想なのだろうが、秀吉の人事が、それ、嫌がらせですか?みたいな気配あるのはどうしてだろう?嫁に出すときも父親が殺した相手の息子に嫁がせた例があるし…。そこは避けてあげればいいのに…。
@prisonerofroad: RT @a_ri_no_ri: 家康の薬ネタはどこまで信用していいのか迷うところではある。ただ、一応、貴族の日記では同じ薬師である山科言経が何度も中風の薬を貰っているし、舟橋秀賢は家康に薬を貰った後に良くなってお礼を言っているから、そこそこ信用してよさそうである。
@prisonerofroad: RT @NAVY_ICHIHO: 上野動物園の“かわいそうなぞう”は有名だけど、東山動物園の“生きのびた象”はなぜか話題に上がらないよね。まぁ東山動物園の場合、殺処分を強硬に主張したのは市民の側で、逆に同動物園に駐屯する陸軍部隊は像へ餌を与えるほどだったというんだから、都合が…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @bn2islander 将軍というより、巨大な政治家であると見たほうがいいかもしれません、秀忠は
@prisonerofroad: RT @a_ri_no_ri: @1059kanri 関東に移動して以降、家康は在京がデフォルトになっていて、年に2ヶ月くらい江戸にいられればよい方ですので、秀忠も周囲も「家康がいなくても統治OK」にまで成長せざるを得なかったのが、後々の徳川官僚組織に繋がったのかなと思います。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @a_ri_no_ri 家康が不在の中、関東の統治を微動だにせず治めた手腕はちょっと空恐ろしいですね。いくら補佐が有るとはいえハタチそこそこの若者が。
@prisonerofroad: RT @a_ri_no_ri: @1059kanri 家康の子供たちの中では、実地で最も学んだ(学ばざるを得なかった)のが秀忠ですね。十代の頃から在京して多くの大名等と接触し、不在がちな家康に代わって江戸で采配を振るう。そんな環境で律儀なだけの二代目が形成されるワケもありません…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: フロイスの「日本史」などの宣教師の報告で、徳川家康のことを「高貴な血を引く人物」と書かれていて、当時新田源氏もそんなに高く評価されてたのかと思っていましたが、当時新田氏が足利一門と考えられていたという事から、家康も「足利一門」と捉えられていた、とい…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 徳川秀忠は、隆慶一郎先生が描くものとは別の意味で怖い人ですね。ある意味家康よりずっと恐ろしいです。
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: 『東大寺雑事記』には将軍の命とありますね。 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @a_ri_no_ri 秀忠が律儀なだけの二代目、というのは、いろんなものが欠落した評価ですね。あの人、家康よりよほど恐ろしい人物で。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 利休の切腹の後も織部の切腹の後も、別に利休流の茶道や利休好みの茶器、織部のそれも禁止されたわけでもなんでもないので、彼らの芸術的影響力ゆえ云々という説明は、正直説得力がないと思う。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @a_ri_no_ri 織部の切腹は家康との関係ばかりクローズアップされて、秀忠との関係が本当にスルーされていますね。秀忠の存在がスルーされがちなのは大坂の陣全体にいえますけどw
@prisonerofroad: RT @a_ri_no_ri: 古田織部への処分も織部が「秀忠」の茶の師匠として遇されていることからして、こちらも裁定は秀忠だろうな。秀忠の「師」でありながら、大坂方との内通疑惑とか、家中の人員による京への放火とか、許されないと思う。茶道とか芸術とかそういうのは無関係だろうな…
@prisonerofroad: RT @kojodanjp: #真田丸 今週の予告で昌幸が「源三郎、源次郎、ワシはどこでまちがった?」となげいてましたが、武田家滅亡以降、これまでの放送で昌幸が決断してきた内容を振り返ってみましょう。あなたが昌幸ならどこからやり直しますか? URL…
@prisonerofroad: RT @a_ri_no_ri: @a_ri_no_ri あー、でも、家康は基本的に敵方への処分が甘い方だから、伊達が大坂方の関係者を匿っているのがバレるとマズいのは、戦後に多くの処断を行っている秀忠の方だ。家康との接触を増やしておいた政宗は保身に繋がるとも言えるか。
@prisonerofroad: RT @Rionn_unosarara: 冬の陣で、本多忠朝が陣割に不服を申し立てて、大御所が不機嫌になったという話も、「こんな場所では(初陣を迎えたの甥たちが)武功を挙げられない」と解釈すると、しっくり来るんだよね。真田家はそもそも信之が出陣できない危機を、若い二人の出陣で補…
@prisonerofroad: 2件のコメント URL “lv261671161” URL #cycleroadrace
@prisonerofroad: RT @toronei: @1059kanri 寵愛で許されていたものが、それがなくなっちゃおしまいですわね。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @toronei 利休に至ってはぶっちゃけ、秀吉への影響力競争に負けたとはいえ、内容的にはある種のマルチ商法関与の責任を取らされたと見たほうがいいように思います。
@prisonerofroad: RT @toronei: @1059kanri 単に権力者に権力で対抗しようとしたから除外されただけの話ですわな。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 信長の比叡山焼き討ちや「一向一揆」との戦い、秀吉や家康のキリスト教禁教・弾圧を、天下人が「自分たちへの中世より神仏への深厚を優先する人々を脅威に?」という説明も、さっきの利休織部と同じ、後世の発想からくる解釈ですね。
@prisonerofroad: RT @kanekoiroha: 今日の #真田丸 。45分での感情の揺さぶりが凄かった。個人的に今までの中でもトップクラスの神回ですわ。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 哀愁と喜び入り交じる、良いお話でした。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 真田家のおっさんたち不穏すぎですわw #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 昌幸は徹頭徹尾「武田」に拘っているのだなあ #真田丸