2016年05月16日のツイート
@prisonerofroad: “リーガ優勝パレード! | バルサコアニュース” URL #FCB #football
@prisonerofroad: “【ツアー・オブ・カリフォルニア プレビュー】11回目を迎えるアメリカ最大のレース!ペテル・サガン「カリフォルニアからツールの準備に取り掛かる」 : コラム | J SPORTS” URL #cycleroadrace
@prisonerofroad: “ジロ・デ・イタリア2016 第9ステージ レースレポート : コラム | J SPORTS” URL #cycleroadrace
@prisonerofroad: “Giro d'Italia Highlights - Stage 9” URL #cycleroadrace
@prisonerofroad: “Underworld - Cowgirl - dubnobasss... tour 2015” URL #Underworld #music
@prisonerofroad: "そのなかで「沼田日記」という史料は、同16年12月の婚約、同17年9月の婚姻という伝えを載せています。状況としては、その可能性が高いと考えています。" / “大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(1…” URL #真田丸 #history
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 戦国時代の日本語。『おあむ物語』や、天草本『平家物語』あたりが、戦国期の口語かな。ただ、これ耳で聞いてもぜったいわかんない。年輩の女性が「おじゃった」といっても、多分時代劇としてはみてもらえない。『甲陽軍鑑』は口述筆記とされているけど、文語体も…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: あ、そうではなくて。社会慣習としては「期間限定の代行」であるべきなのを、「正式に相続」させたのが、昌幸の真田家相続なんです。だから、正当性を保証する必要がでてきて、その手段が、息子世代の結婚だったという話しです。 URL…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 当時の社会慣習として、後継者幼少または娘のみの場合は、普通は一門中の有力者が期間限定で当主代行をするんです。ただ長篠直後の状況からすると、実績のある昌幸に真田氏を率いさせて、北上野を担当させたほうがよいという判断でしょう。 URL…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: はい。その通りです。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ええと、三谷さんは今回脚本であって、演出(監督)じゃないので、関係ないです。あと、こっちもほとんど使われないこと分かって作ってますし。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: .@Jiraygyo そうです。あくまで「時代劇」のための言葉なので、メタ言語なんです。江戸時代だけでも、260年間通じて、同じ話し方するわけないじゃないですか。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: .@kazumaru_cf それと、今の若い方は、時代劇を見慣れていないので、現代語に近い「きり」の台詞でしかすぐに意味がとれないという話も、大学教員と話すと漏れ聞きます。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: .@kazumaru_cf あと、私的会話は現代語に近くして、公私のメリハリを演出したいというご要望なので、私的場面にしか登場しない女性陣の言葉が現代語に聞こえやすいと思います。阿茶局は準公的場面が多いので、女性陣の中では時代劇っぽいはず。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 時代劇で使われる言葉って、江戸前期以前の言葉じゃないんです。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: いちおう戦国に近い言葉に直してるんですよ。ただその時、耳で聞いて分からない言葉は選択肢から外すので、逆に現代語に近くきこえちゃうんです。というのも、漢語の大半は明治時代の翻訳後なので、和語中心になるんです。 URL…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: はっきり言うと、書状が画面に映る方が珍しいのですが、演出チームの皆さんの選択肢を増やしてさしあげおほうがよいドラマになると個人的には思っていますので。紙の大きさや折りたたみ方も、色々指定しているので、呆れられています。 URL…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: あ、すいません。それ、誤植です。1日ずれます。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: どうでもいい話。今回一番苦労したのは、秀次が三成に「茶々様と信繁の噂話は事実ではないが、加藤清正が思い込んでいるので、信繁の命が危ない、何とかしてやってくれ」という書状の文案を作成することでした・・・まさか裏側しか映らないとは(大爆笑)
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 豊臣期の「奥」は正直まだよくわかっていません。武家儀礼全体も含めて、江戸時代の制度は寛永以後に固まっていったと思うので、アバウトな描写でもよいかもしれないのですが、敢えて書き分ける演出をお願いしました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 繰り返しますが、寧・茶々が秀吉以外の男性と同席している場合は(次の間・廊下含む)、「奥」から「中奥」に出てきているという設定です。そうしないと、ドラマにならないものですので。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 茶々が「奥」に入るシーンの演出は議論になりましたが、「奥」を取り仕切っている正室北政所に挨拶にいくだろうから、その描写にしようという形になりました。扉一枚で「中奥」と「奥」の空間的区別が描けたので、良かったと思っています。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 秀吉の唐入り構想ですが、九州攻めの最中、対馬宗氏に対し、朝鮮服属交渉をするよう命じています。フロイスが織田信長の構想として、中国の武力征服を記していることも踏まえれば、同様の考えを既に抱いていたと描いてもよいだろう、という判断です。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 加藤清正の九州行きは、作劇の都合上、史実より少し早めています。ただ考証側の要望として、清正が単なる猛将ではなく、奉行・政治家としての能力がある点も描いてもらいたかったので、後方支援をさせるという設定にしていただきました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: しかし勝頼の判断で、昌幸嫡男信幸と信綱娘の縁談をまとめ、昌幸の後継者の代で信綱の血が(女系で)受け継がれることを示して家臣団を納得させ、昌幸が正式に家督を嗣ぐことになったようなのです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 信綱・昌輝兄弟が長篠で戦死した際、ともに幼い男子がいたようなのですが、家督は弟の昌幸が嗣ぐ事になりました。こうした場合、昌幸の立場は本来「名代」「陣代」で、信綱の子が18?20歳になったら、家督を返還しなければなりません。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: はじめて「おこう」の出自が明かされました。どこで説明するかの判断が難しく、結局稲姫(小松殿)との縁談での説明となりました。父親は、昌幸の長兄真田信綱です。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 片桐且元が茶々との関係を強調していました。且元の父は、元亀4年(1573)8月29日付けで、浅井長政から感状を与えられた人物です。「今度当城就不慮、此丸一相残候」ではじまるこの文書は、長政最後の発給文書。長政は、翌日切腹して果てました。浅井家に…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 今回から「聚楽第」が登場しました。読みは「じゅらくだい」が著名かもしれませんが、「第」=「邸」=屋敷なので、「じゅらくてい」と読むべきです。当時の書状にも「聚楽亭」などと出てきます。「聚楽城」とすべきという御意見もあろうかと思いますが、まずは「…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 三谷さんにとって、「黄金の日々」は格別に思い入れのある大河ドラマだと仄聞しています。ちなみに、呂宋助左衛門は生没年未詳です。
@prisonerofroad: RT @kyou_sen: 『全国国衆ガイド』で、大名の重臣クラスや半独立の状態からぼろぼろ滅亡していってる国衆の話を読むと、源三郎の「間違っておりませぬ!」がかなりの説得力を持って聞こえてくるな。URL
@prisonerofroad: RT @keico: 真田丸19話の感想絵を描きました。『恋路』というロマンチックなサブタイトルに反して、真田一族のしんどい表情が印象的でした。大阪編の信繁(堺雅人さん)の芝居がすごく楽しいです。ラストの寧の氷のような表情も最高でした! #真田丸 #丸絵 URL…
@prisonerofroad: RT @HistoryImg: 舞妓、1920年代と現在Maiko 1920s and Now URL
@prisonerofroad: RT @zibumitunari: 【今日のまとめ】・預言者茶々様怖い・清正マジ怖い・睨む忠勝マジ怖い・秀吉様も怖い・三成は空気読める男だった
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 正直豊臣家の人々は誰一人幸せそうじゃないのがずっと継続しているのが凄い #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: ここで茶々が北政所にお目見えするのは、側室は立場的には「正妻の家来」だからです。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @yoshiteru_hsgw: 石田三成「堺へ行ってきます」三成と堺は、実はとても関係が深いです!三成は1586?88年に堺の奉行を務めていまして、1593?99年には正澄(三成の兄)が奉行を務めております?ちなみに、九州征伐の後に荒れた博多の復興を担当したのも三…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: このBGM,婚姻じゃなくてRPGのボス戦でかかる曲ですよねw #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 万福丸のことをきちんと言及した大河ってもしかしたら初めてかも知れない #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: ただこの本「輝元の再評価か!」と読んでいたら『輝元は言われるほど無能じゃないけどやっぱ三代目の甘ったれで直ぐ調子に乗るし冷酷で保身のためなら何でもするろくな人間じゃないけど、そもそも戦国大名なんてみんな碌な連中じゃないからセーフ』という感じの投げっ…
@prisonerofroad: RT @muhonnocream: @1059kanri @nonomaru116 後鳥羽院もそうですね。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @nonomaru116 後醍醐も「生まれながらの天皇ではない」事からくる余裕の無さがありますね。安易に定型化は出来ませんが、人の出自というのは功成り名を遂げた後に頭をもたげやすいものかもしれません。
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: @1059kanri 後醍醐天皇にも通じる性格ですよな。こういう人間は馬力で突き抜けるけど、いざ天下を取ると自分で何でもしなければ気が済まず、いろいろなものをしっちゃかめっちゃかにしていくわけで。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @nonomaru116 そういう「我慢の出来なさ」は、一面では秀吉を天下人に押し上げた原動力の一つでも有るのでしょうから、人の性格というのもなんとも難しいもので
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: @1059kanri 自分でできる&人をある程度使う才能があったから、そうでない連中をどうするかで、できる家臣を送り込むとか、教育するじゃなく、頭越しにやっちゃうってあたりが、もうどうしようもなく独裁者ですよな……。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @nonomaru116 最後まで秀吉の個人商店の域を脱せなかったのが豊臣政権かなあ、と感じちゃいますね
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: @1059kanri なんか「身内だから俺が面倒みる」みたいな感覚が悪い方向に出てて、極端な話、秀次の矜持みたいなのが理解できてない感じがあるんですよな。ここら、武士としての教育・教養の欠落が悪影響及ぼしているとしか。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @nonomaru116 極端すぎるのですよね、やること為すこと。
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: @1059kanri かえって暴発を恐れたのか、と思って、いやそれなら他にやることあるだろうと思い直しw まぁ、正統性の分裂を恐れたのかもしれませんが、それにしてはやることが一家根絶やしなんでバランス悪すぎで……。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 逆に言えばそこまで実権皆無の豊臣秀次を、秀次事件を起こすほど秀吉が恐れた、というのは実に不思議では有りますね。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: このあと天正18?20年は秀吉にとって悲劇の連続となりますね・天正18年正月 実妹「家康公妻室」死去・天正19年正月 実弟秀長死去・天正19年八月 実子鶴松死去・天正20年七月 実母大政所死去 #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: とても婚姻の場のBGMとは思えないw #真田丸