2016年09月12日のツイート
@prisonerofroad: "とくに近年明らかになった、秀忠軍の当初の目的が上田城攻略、西上は家康からの突然の作戦変更によったことが、しっかりと踏まえられていました。" / “大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(33)|法学部…” URL #真田丸 #history
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: @HIRAYAMAYUUKAIN あ、これは三成は毎回備えの陣立を添付したと述べているのに、「真田家文書」には1点しかないという意味です。「浅野家文書」に伝わっている書状にも陣立添付と書いてありますから。それはつかまってんじゃない?と。
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: @kazumaru_cf あの西軍の陣容を記した文書は、他にはないんだ。それは初めて知った。てっきり、石田方は主要な大名には送っているもんだとばっかり思ってた。他の史料群をみていないとダメだね。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: あの発言はむしろ助け船だったという見解に僕も賛同なのだが(それがその後売り文句にして独り歩きしたことを放置した点に本人の責任があるとは思う)、それ以上に「個人的憎悪」をオフィシャルな媒体に書くというのはいかがなものか、という点に常識のなさを感じ…
@prisonerofroad: RT @sikano_tu: @sikano_tu この人は優秀な官僚だったろうけど、個人的な心理的な弱みを刺激されたことが憎悪につながっていて、優秀なだけに、単なるヘイトに過ぎない言説を理論武装で正しく見せかける屁理屈まで編み出すと言うことをやってしまっている。自己分析はでき…
@prisonerofroad: RT @sikano_tu: 「二番じゃダメなんですか?」で変わった人生 ? アゴラ文科省の官僚が、あの時、夢を与える程度の話じゃなくて、最先端に手をかけてないと海外との交渉もできないと言えてれば、流れは変わってたと思うよ。蓮舫の言葉は助け舟だったんだから。 https://…
@prisonerofroad: RT @koji_illust: ある相互フォローの方からのフォローが外れたのに気付いたが、どうも今外すのはおかしいと思って数十分後に改めて確認したら相互フォローに戻っていた。この所これが複数のフォロワー間で頻繁にあるのでツイッターのエラーの様です。ヘタな反応をすると険悪な関係…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: まあ当該記事へのリンクなんてそれこそ拡散したくないんですが。どういう立位置の人が書いていて、どういう立位置の研究者が取材に応じたのか、というバイアスを念頭に置かないと読んじゃ駄目な記事。
@prisonerofroad: RT @Yuhki_Nakatake: また上田か。。。この執着心は異常。陰謀脳としか。オースティンはNature当該論文のレビュアーだったっと目されてるからね。そりゃ擁護するしかないよねw→STAP論文、海外研究や論文で引用(減ってる) 再生医療の研究に貢献(してない)htt…
@prisonerofroad: RT @itaru_ohyama: 歴史関連の書籍が失敗の典型だ。幕末モノだと坂本龍馬か土方歳三じゃないと企画が通らない。中岡慎太郎でも近藤勇でもダメ。売れそうなネタだけに集中するけど、すぐに飽きられる。ほぼ3年で読者層が入れ替わり、中級者が育たなくなって何十年だよ。http…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 「真田太平記」ドラマ版は、幸村(信繁)・佐平次討死の描写を原作から変えて、一緒に討死させたんですよね。それまで幸村のことを「左衛門佐様」と呼んでいた佐平次が、最後の台詞では「源次郎様」と呼ぶ。泣かせる演出でした。
@prisonerofroad: RT @hervorruf: 登場人物 長兵衛 (木之元 亮)|大河ドラマ『#真田丸 』 URLギャアァァ━━(;;゚Д゚)━━!!!!!!#真田太平記 の佐平次が九度山の村長にクルコレ!!死ぬ程嬉しい(号泣) https://…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 河原綱家役の大野さんは、「歯が欠けて上手く喋られない」演技をする際、小山田茂誠さんの高木渉さんにアドバイスをお願いしたそうです。たしかに、声優の方に聞くのが一番ですよね。
@prisonerofroad: RT @kirinosakujin: 今夜の大河「真田丸」で、昌幸が信繁に命じて、秀忠本陣の染谷台を奇襲させる拠点にしようとした蚕山(虚空蔵山)は写真中央のように、ほんとにかいこが這ったような姿をしている。右手の山は戸石城。真田本城から撮影。 URL…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 田丸直昌につきましては、三谷さんから「小山付近にいたといわれているので、関ヶ原時の動向を確認したい」というご質問をNHK経由で頂戴し、「実際には美濃にいた」ことを確認して御返事をしております。参考文献がすぐに出てこないんですが。 https:/…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 沼田城の「小松殿」(※小松殿というのは尊称で、名前ではありません)が昌幸を追い返した件、今年春まではフィクションだと思っていたのですが、『真田信繁の書状を読む』執筆時に大谷吉継書状を全文現代語訳した結果、慶長4年に帰国した可能性あり、と判断を改…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: さて、9/15の関ヶ原は徳川方の大勝利でした。しかし、まだ「西軍」には毛利輝元が大坂に健在です。だから三成も、再起を期そうと試みるのですが…。本当に、一連の経緯はイレギュラーです。黒田如水が吉川広家に愚痴るのも分かる気がします。
@prisonerofroad: RT @kirinosakujin: 絵図に「蚕山」(かいこやま)とあったのにはにんまりしました。私も地元での呼び方を聞いていましたので。真田本城あたりからこの山を見ると、かいこが這っているような姿をしてますものね。 URL
@prisonerofroad: RT @Zx3ZtELBCvWvyi9: @HIRAYAMAYUUKAIN私達地元でも、虚空蔵山とは言わず、蚕山と呼んでいました。地図に記された文字を見させて頂き、さすが!と思いました。
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: @HIRAYAMAYUUKAIN この「蚕山」も、地元を調査して歩いていて、多くの古老から御教示いただいた名称です。上田、真田在住の皆様なら、「よく知っているな」と思われると思います。それは、地元の方々から御教示いただいたからです。本当…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 当時の人々も、家康の勝利が秀頼の進退に関わると考えていたのです。むろん、家康はそのようなことをせず、秀頼のもとに「謀叛を平らげた」という形で戦勝報告をするのですが。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 関ヶ原の結果は、豊臣方の人々をパニックに陥らせています。京の隠居屋敷(京都新城)にいた北政所は、後陽成天皇の生母勧修寺晴子の屋敷に逃げ込み、小早川秀秋が迎えにきてようやく屋敷に帰っています。淀殿も、片桐且元を通じて家康に交渉を打診しています。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: それと、以前「実は戦場は青野ヶ原」という研究が!という報道があったのですが、これは昔からしられていたものがたまたま報道されたというケースです。同時代史料で、双方の呼称が混在しています。また『三河物語』は青野ヶ原ですね。ただ家康が、「関ヶ原」と書…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: このため、ドラマでは佐助の報告を「朝方に始まり、昼過ぎには勝敗がつきました」といった形にしてもらいました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 関ヶ原の二日後に徳川方が出した書状や宣教師の書簡によると、開戦は午前10時頃。その直後に秀秋が「御味方をした」結果、「西軍」が総崩れとなり、本戦そのものも短時間で決着をしたようです。このあたりは白峰旬氏の研究に詳しいので、ご参照ください。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 一般に、関ヶ原朝8時開戦、西軍が善戦し、裏切りに逡巡していた小早川秀秋に家康がわざと鉄砲を撃ちかけたことで午後になって秀秋が寝返り、午後3時頃決着したとされますが、いずれも軍記物によるフィクションです。そもそも松尾山は結構高所で、混戦中に鉄砲な…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: そしてこれをみて、家康が諸大名を関ヶ原に動かすことになります。そうすると、大谷吉継が突出した形となりますから、大垣にいた三成たちも関ヶ原に移動するという経緯で、かなり偶発的なものでした。まあ、当時の戦争はそんなものです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 関ヶ原本戦ですが、実は戦闘開始前に小早川秀秋が寝返りを疑われ、三成が拠点として整備した松尾山城の守備隊を追い出して松尾山に籠城をしていました。これが9/14です。これに対応するため大谷吉継が関ヶ原に布陣します。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 実は三成自身、昌幸を説得する書状で「天の与える」好機だと述べていまして、「戦国の世」に逆戻りする状況だと認識していました。家康も含め、関ヶ原であんなにあっさりと決着がつくとは思っていなかったのです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 毛利輝元。この人も四国や九州に攻め込んでいます。あげくに、毛利吉成(「西軍」)の小倉城にまで手を出すということまでやらかしてまして、ようは上杉も毛利も、この機会に領国を拡張し、戦後再編されるであろう豊臣政権内の地位向上を狙ったわけです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: いっぽうで、上杉領というのはようするに「伊達旧領」なので、伊達政宗が侵攻してきており、そちらへの応対で手一杯になります。なお「百万石のお墨付き」が家康から提示され、戦後破られたとされますが、政宗が「切り取り次第」で制圧した領域を与えたというもの…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 最上義光は兵力分散を避けるため、味方を拠点城郭に集中させています。さらに「降伏交渉」を開始したため、直江兼続は最上降伏は近いと判断を誤る結果になりました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: この書状で景勝は、「最上・伊達と戦っているので徳川領には攻め込めない」と断言し、「家康が江戸から出陣すれば、佐竹義宣と協議する」とリップサービスをしています。当時の上杉領国は、会津・出羽米沢は地続きなのですが、出羽庄内が飛び地でして、間にいる最…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: いっぽう、上杉→「西軍」への書状は、8/25のものが「真田家文書」に残っています。この判断は難しく、1)上田城まで来られたけど、そこから進めなくなっていた、2)沼田で信幸が使者を捕らえたのどちらか。いずれにせよ、8月中旬には昌幸は上方の状況不明…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: もっとも三成が「手紙届いてるか不安」というのも当然で、「西軍」の陣容すべてを記した機密文書を何度も添付したためです。これはたしかに「真田家文書」にあるんですが、1点しかないんですよね・・・。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 三成は昌幸に繰り返し「上杉と連絡を取り、江戸を攻めるよう話をしてくれ」と頼んでいますが、周辺諸大名は徳川方(木曾は石川光吉が代官なので「西軍」)ですし、肝心の信幸が徳川方なのでやりようがありません。このため、曖昧な返事をしていたようで、三成は「…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 三成は8月頭には大垣城に入っています。岐阜落城時のマップで美濃・近江国境あたりに顔があったのはこのため(ただ地図の縮尺上、正確な位置におくのが難しいとのことでした)。昌幸への最後の書状は8/10付ですが、「浅野家文書」に伝来しており、昌幸のもと…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 大谷吉継が真田が「案外要かもしれんな」といっているのは、昌幸領(上田)・信幸領(沼田)を経由すれば会津へ道が通じるためです(対応する台詞を意って貰う検討もしていたんですが)。このため、昌幸は信幸の動向をひたすら隠し続けます。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 小山評定は現在あったなかったで論争中ですが、私は史料を見る限り、あった」と考えています。もっともその場での具体的な合議内容は、わかりませんが。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 今回は矢沢三十郎頼幸の見せ場であったかと思います。本当はこれ以前から信幸つきだったのですが、ドラマでは一時的に「信幸の命で」信繁に付けられました。江戸時代は信幸の家老になりますので、ここで本来の形に戻していただいた感じです。ちょっとほろっときて…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 平岩親吉は本当は厩橋城にのこっておりました。ただお芝居の関係で、第一次上田合戦参加者に出て貰う必要からの人選となりました。大久保忠世は既に死去、鳥居元忠は伏見で討死しているためです。もっとも、厩橋在城は信幸監視のためとされていますので、秀忠指揮…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: なお、作劇上カットされていますが、岐阜城攻略は福島正則と池田輝政両名の手によるものです。東海道方面の先鋒は、福島と池田両大名が統率していました。なお、三成は福島正則に対し寝返り工作を続けており、福島正則も清須帰国後も門前払いにはしていません。か…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 秀忠の関ヶ原遅参。今回ようやく「最初から裏切り者真田討伐を命じられていて、家康の命令変更が遅れただけ」という史実を反映してもらえました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 平野長泰。ドラマでは作劇の都合上「秀次事件」で召し放ちという扱いになっていましたが、実際は慶長3年、つまり秀吉の死去年に従五位下遠江守に任官しております。関ヶ原では、秀忠勢の一員でした。降伏交渉の使いとなっているのはフィクションですが。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ただ、本多正信が提案した「刈田狼藉」は基本戦術でして、この年の上田の収穫は壊滅的状態になり、百姓が逃散して荒廃した上田領を信之が引き継ぐことになります。戦国の合戦の一シーンを象徴的に描いていただけたと思っています。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: まず第二次上田合戦について。実は神川の堰を切ったのが第二次、大雨で洪水が起きたのが第一次なんですが、軍記では第一次でも堰をきったことになっており、それが採用された経緯があります。その関係で、少し違った描写になりました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: もうひとつ、関ヶ原の研究史がここ数年で大幅に前進してまして、考証サイドからはどのような説をご提案するのが妥当かの選択が難しいかな、という点もありました(作劇の際の判断材料として)。もちろん、私の考えはお伝えしていますが。もう少し、議論が進むのを…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 「七将事件」までの三成や小早川秀秋の動きは、上方に信繁ときりがいますから、そちらを描く分には問題が無く(秀秋と江雪斎は密室でしたが)、「関ヶ原にいたる道程」(三成が失脚しちゃう「七将襲撃」まで)のほうに力点をおくという形をとられたようです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 「超高速関ヶ原」でした。本作は最初から真田一族ときりが見ていないものは「描かない」(家康や秀吉のひとりのシーンなど一部例外あり)というスタンスで決めているとのことでしたので、私としてもそれを踏まえて考証をしています。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @kazukitohma1 ありがとうございます!本多忠勝が晩年に、今の若武者より昔の女のほうが強かった、なんて言ったりしてましたが、こういう話を見るとさもありなん、と思いますねw
@prisonerofroad: RT @Bilbo_1: 中世後期の騎士が「板金鎧を斬れない剣」を手放さなかった2つの理由 URL
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: 松代藩継げなかった真田信直が実質3万石の沼田藩領を14万石と高直ししたから……! / あの真田家は実は残虐な悪政?! 年貢を納めることができない領民は家族もろとも水牢で…(産経新聞) - Yahoo!ニュース URL…
@prisonerofroad: RT @arien0727: 関ヶ原後に上杉主従が謝罪の為に上洛。景勝1人で登城(直江は待機)→景勝公を一目見ようと部屋を覗きにくる輩多数徳川さんが逆に気を使って「景勝公人見知りの為」と、いう衝立てを部屋の前に置いて目隠しという可愛いエピソードは・・!やらない…
@prisonerofroad: RT @kir_imperial: 民主主義とオタクは定期的に死亡宣告されるモノだが、これもとどのつまりは技術革新や環境の変化で、オタクを取り巻くテクノロジーが変化し、その結果オタクのあり方が若い子を中心に変化し、それをオッサンのオタクが見て「オタクは死んだ」って言うって感じな…
@prisonerofroad: RT @KuwanoMidori: #真田丸九度山の村長、長兵衛を演じる木之元亮さん。『真田太平記』では真田幸村(草刈正雄)の忠実な家来、向井佐平次を演じていた人です!佐助のお父さんでもありました。 URL
@prisonerofroad: RT @fallnight7: #真田丸ガラシャ様を失った忠興様はこの後逃げた砲術指南の稲富殿を「何故貴様が逃げた!」と追討をかけたり逃げた嫡男の妻(前田利家の娘)の離縁を迫り、拒んだ嫡男を廃嫡し関ケ原では石田の本体に突っ込んで首級136を上げるなど、触る者みな傷つけ…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @urakkun26 なんのかんので朝鮮で死線を潜った大将ですよね
@prisonerofroad: RT @urakkun26: @1059kanri 小早川勢の凄いところは、敵地の中、孤軍で崩壊せずに松尾山まで行軍出来たことだと考えています。後の前田利長勢より規律がとれていたのではないかと。
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: @1059kanri 実は東軍は既存体制をどうこうってことはなくて、次々現れる敵(西軍)を撃破しているだけだし、一方で西軍は家康打倒という目的が一致しているようで、実は自分らの権力拡大だから、その大目標にそぐうならば寝返り裏切り抜け駆け和睦なん…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 家康は赤坂に到着して状況を破格した後は、かなり短期決戦を意識して動いている感じしますね
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: 驚きつつも、その方向性がありと判断したら、そこへ邁進するのが家康の凄い所。 URL
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: 本日の真田丸、秀忠や昌幸がみていた地図は、アタクシの力作。江戸後期の絵図を底本に、国絵図などを参考にして作成しました。砥石城の近くに、真田方の伏兵が潜んでいた山は、「虚空蔵山」なのですが、天正11年の時の虚空蔵山城と混同しやすいというこ…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 戦国期の合戦における「決戦」というのは、ほとんどが、城攻め→城を救援する後ろ巻きの軍勢到着→決戦、という流れですね。長篠もそうですし、川中島や姉川の戦いも本質的にはそうですね。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 関ヶ原に関しては、未だに参謀本部制作の「関ヶ原布陣図」や、「それを見てメッケルが西軍の勝利と言った」等の逸話を出して西軍雄偉だった、という人が多いのですが、そもそもあの布陣図は現在では信用できるものではないと評価されつつあるわけで。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 昨今言われる、関ヶ原は「東軍」小早川秀秋の松尾山城占拠に慌てた西軍が、松尾山城攻めを行っていた所に、東軍主力が小早川救援のために到着して西軍を粉砕した、という流れは、この時期の合戦像としてもかなり自然に感じますね。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @nonomaru116 いわゆる石田三成のキャラクターイメージって、正純に限らず後世の徳川の官僚からイメージ持ってきた感じが強いですねw
@prisonerofroad: RT @suikyosen: というか、関ヶ原最大の謎って「京極さんなんであのタイミングで石田方離脱して大津へ籠ったのか?」だと思うの。どう考えても勝算無いしあの時点で野戦一回で終わりとか読めないはずだし
@prisonerofroad: RT @1059kanri: #真田丸 では父正信の劣化トレース的な描かれ方をしている本多正純ですが、そんな彼は非常に有能かつ廉潔な人物であったという記録 本多正純の廉潔 URL
@prisonerofroad: RT @kirinosakujin: 近年、関ヶ原合戦研究は格段に進んでいる。とくに小山評定の有無、小早川秀秋の動向、「問鉄砲」の有無など、誰もが知っていた通説の再検討が進む。そして両軍諸大名の陣所の位置についても再検討されている。石田三成が笹尾山に陣したことも否定論出ている。…
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: ちなみに家康、当初の予定では大垣に篭もる石田等は豊臣恩顧大名に包囲させ、自身の兵で南宮山の毛利勢を攻めるつもりでした。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: 家康が秀忠に上洛を命じたのは、自身が江戸を出陣する9月1日と同日なので、この時点で赤坂・関ヶ原で合流は端から考えていないことになります。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @ohagi2334: 東軍勝利のお知らせ #nhk #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @moftamas: @shima_ko 岐阜城について「見た目は難攻不落だが、攻めらると割とすぐに落城するので女騎士の即落ち2コマ漫画感あるよな」という評がありまして・・・
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: 第二次上田合戦、あったとしても支城や刈田での小競り合いで終わっています #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 第二次上田合戦は、現在の評価としては『真田昌幸はほぼ何もしていない』って感じに、現在はなっていますね。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @gaki_rekishi 秀忠の本番は大坂の陣ですね
@prisonerofroad: RT @1059kanri: ここの秀忠の察しの良さ。秀忠が本質的には聡明であることを表現していますね #真田丸
@prisonerofroad: RT @an_shida: 目玉焼きを固めるのを失敗したやつがよう言うわ#真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @an_shida: 家康に続き昌幸まで「よっしゃ?!」!#真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: この辺りの家康の「甘くなさ」が実にいい #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 智将小松姫 #真田丸
@prisonerofroad: RT @nunonofuku123: 小山評定で家康から「西軍付きたければついてもいいよ!追わないから!」と言われて正直に西軍ついたのは真田家以外だと岩付城城主の田丸直昌だけ。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @nunonofuku123: 小山評定で家康に「西軍つくならついてもいいよ!」と言われ速攻断ったのは福島正則と黒田長政の二人と言われる。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @yougoha: まさかの平岩親吉さん再登場
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @tenkawa_shinji いわゆる通説に反して、あのように作るのは勇気が居ることですね。あの制作陣は偉いと思います。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: そうとうに昨今の研究結果に寄った第二次上田合戦でしたね #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 昌幸が浮かれているときは… #真田丸
@prisonerofroad: お疲れ様でした。 / “ブエルタ・ア・エスパーニャ2016 第21ステージ レースレポート : コラム | J SPORTS” URL #cycleroadrace
@prisonerofroad: #rowing / “Daniel Topolski - OUBC” URL #ボート競技
@prisonerofroad: RT @Thomasina0916: 笑顔で話しかけて速攻で首を掻っ切る茂誠さんは、癒し担当ほのぼの夫婦なだけじゃなく、武田軍最強と言われたこともある小山田氏一族だったと思い知る#真田丸 URL
@prisonerofroad: “貧困の基準はどこにある?――「貧困女子高生」報道から考える / 大西連 / NPO法人自立生活サポートセンター・もやい | SYNODOS -シノドス-” URL #society