2016年09月26日のツイート
@prisonerofroad: "今回、九度山村の武力行使の話を出しているのは、そうした社会の変化をこのドラマのなかで回収させるためでした。" / “大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(35)|法学部|駿河台大学” URL #真田丸 #history
@prisonerofroad: RT @8024atc: 「真田丸」ご覧いただいた皆さんホントにありがとうございました??史実ではこれで板部岡江雪斎退場でございます。最後の信繁さんとのシーン、三谷さんの愛を感じました。胸を張って代表作といえる作品、役柄に出会えたこと、スタッフ、共演者の皆さんに感謝します。勿論…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 北条氏直。小田原合戦後、高野山追放となりますが、翌年、舅である徳川家康の嘆願により約1万石の大名に復帰。しかしその過程で、疱瘡で死去してしまいました。家督は、叔父氏規(家康幼馴染み・対秀吉外交担当)の子氏盛が嗣ぐことになります。河内狭山藩北条氏…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 追加。本多忠勝死後、信之はただちに桑名に弔問に訪れています。それまでの間、忠勝は頻繁に草津温泉湯治を計画。なんども沼田にやってきては「娘をよろしゅう」と信之の家臣に頼んでまわっていたようです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 真面目な話をすると、まとめ管理人さんあたりのツイートから「それ、出典何だ?」と調べ始めることは時々ある。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 「失礼!」と思ってツイートしていないことだけは間違いない。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 蓮華定院は、高野山の宿坊のなかでも、現在高野山駅からもっとも近い宿坊で、かつ規模が非常に大きいです。ただ逆に、高野町の中心部(千手院橋)に出るのに少し時間がかかります。また朝の勤行の他に、夕方の瞑想があるのも特徴です。
@prisonerofroad: RT @SanaWind_200: 今日の真田丸紀行で紹介された蓮華定院さん、それはそれは美しい場所なのですが、5月でも最低気温はマイナスになるほどなので、お泊まりの際は服装については、ぬかりなく。#真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: そんなもんなんですよ、専門家というのは。たとえ戦国時代の話でも、軍記物ベースのものだったりすると、まったく知らない話ばかりです。時々「大学教授よりも○○に詳しい小学生!」という番組が作られたりしますが、そんなことはいくらでもあり得ます。 htt…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: こんな感じでしょうかね。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 阿梅は最終的に片倉重長(白石城代)に嫁ぎますが、菩提寺当信寺の過去帳には、竹林院殿(春)の記載はあるものの、高梨内記娘(きり)に該当しそうな人物はいないようです。わざわざ京都に在住していた竹林院殿の供養をしていることからすると、竹林院殿の娘の可…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: あ、阿梅の生母の件がありました。幕末に編纂された真田氏の正史のうち信繁伝である『左衛門佐君伝記稿』には、高梨内記の娘(きり)の子とありますが、真田六文会(真田氏子孫の会)の調査では高梨内記の娘じたいが登場しません。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: まあ演劇にはまったく興味関心がないので、お恥ずかしいくらい知らないです。「当然知っているはず/べきではないか」と言われると、ちょっと困惑しますが。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: はい。何処のどなたか存じませんが、思う存分馬鹿にしていただいて結構です。知らないことを知っているというほうが恥ずかしいので。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 二条城会見。実際には加藤清正は、娘と婚約した家康の子・頼宣(紀伊徳川家の祖)の後見として、秀頼を出迎える立場にいました。ですので、家康が清正および彼が支える秀頼を恐れる必要は無く、毒殺というのも事実ではありません。ただ、浅野幸長とともに急逝した…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 架空の村というわけにもいかないので、学文路村をご提案しました。同村が隣接諸村のなかで九度山村と並ぶ規模で山が近い村で、九度山村(高野山領)と違って、高野山・和歌山藩の相給であったためです。「浅野の殿様に訴えよ」という台詞を、考証上裏付けたかった…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ドラマ上で九度山村と争っていたのが、この学文路(かむろ)村になります。九度山村はこの地域一帯の交易拠点、学文路村は参詣路として栄えます。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 板部岡江雪斎と信繁の邂逅。秀吉が橋本町を整備して以後、九度山村の隣の学文路村(現橋本市)→河根峠(現九度山町)が高野山への参詣路となっていました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 高野山奥之院にある北条氏直の供養塔です。命日が刻まれているため、没後に家督を嗣いだ従兄弟氏盛の建立でしょう。形状は、中世末期のものでよさそうです。奥之院にある北条家墓所の左奥隅にあります。探してみて下さい。 URL…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 最終的に、昌幸死去の報に接した本多正信は、「公儀御憚りの仁」であるため、昌幸葬儀を沼田で執り行ってよいか、幕府に伺いをたてるよう助言をするにいたります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 信之の昌幸赦免嘆願。本多正信が軸となります。これは、正信が徳川と真田を結ぶ取次役で、真田家に助言をする立場にあったためです。慶長10年2月には、昌幸の台詞通り、赦免の可能性が出ており、正信からはどうも前向きな回答があったようです。ただ、家康が頷…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 昌幸は国許と頻繁に家臣を往来させており、信之や三男の昌親からは年100両にものぼる支援を受けています。また、浅野家から年50石、さらに蓮華定院からも支援があったそうですが、昌幸はあっという間に使い果たしてしまい、追加の支援や借金の無心を繰り返し…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 今回の小道具は、差出と宛先の関係を考慮して、必要な裏書きを書いてもらっているのですが、筆で書いている場面そのものの映像化は、本大河でも初です。事前に、どの順番で書くのか問い合わせがあったのはこのためだったのか、と思いました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 信之が書状をしたためているシーン。考証冥利に尽きる場面でした。書状を収める封紙の裏側に「真田伊豆守」のように苗字+通称(「裏書き」といいます)を書き記すというのは、今までの大河ではやった記憶がないそうです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: そこで、浅野家臣のうち、高野山との交渉役をわかる範囲でリスト化し、御送りしました。その結果、竹本義太夫という人物に落ち着きました。私は無教養なもので、浄瑠璃語りの著名人と同名とは気がつきませんでした(後から周りに指摘されました)。なので、浄瑠璃…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 監視役の浅野家臣。三谷さんから「浅野家臣の誰だかわかりますか」というご質問がNHKを通じて頂戴しました。ただ、実際には九度山村は高野山領でして、文殊院という僧侶が責任者でした。浅野も監視していましたが、それが具体的に誰だかはわかりません。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 九度山の蟄居生活。ドラマでは、設定上「九度山村からは出られない」としていますが(もっとも九度山村の村域が周辺の山を含んでいる形)、実際は高野山領であれば自由に行くことができました。浅野領の境までは行ってもOK。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 九度山蟄居生活第一回は、昌幸死去という大きな回でした。慶長6年にはじまり、同16年4月まで、ということになります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: おや、気づかれた方がおられるようですね。録画されている方は、冒頭のシーンを・・・とこれ以上は申し上げるのは野暮。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 特集 さなイチ 別冊!インタビュー 回顧録 真田昌幸よ、永遠に|大河ドラマ『真田丸』 記憶に残る強烈な名ゼリフの数々を、写真とともに振り返ります。 URL
@prisonerofroad: RT @Rynax_zxc: 前日の万里の長城のニュースまた続きがあったよ設計者が本当の同じ箇所での修復前後の写真をアップして説明したあれは廃墟化した箇所を固めただけ(見栄えは良くないが固めないと数年のうちに消えてしまうため)マスコミが写真を間違ったらしい(・_・;写真…
@prisonerofroad: RT @kinkuma0327: 長谷川豊はまずは全国腎臓病協議会からの抗議に誠実に答えるべきだし、無断でブログの文書をパクった人工透析患者の書き手に対しても誠実に説明すべきだが、そういうところから逃げ回ってネット上の批判にだけ反応し、言論弾圧だの威力業務妨害だのと被害者ぶった…
@prisonerofroad: RT @kinkuma0327: 長谷川豊、パクり疑惑の弁明で、ブログ記事を引用する旨を連絡したが連絡がつかなかったので、改行をしたりして『自分の著作物』という形にして発表した、みたいなことをいっていて、そんな杜撰な弁明で乗り切れると思っているあたり、彼がどのような意識で物を書…
@prisonerofroad: RT @nomugicha: 「イラストを2千円で描いて!」「現在東京都の最低賃金が時給907円ですので、1枚に掛かる製作時間を仮に12時間として最低基本料として10884円、そこに技術料、デザイン料、電気代等の諸経費等が加算されます」(RT
@prisonerofroad: RT @zimkalee: 2年ほど前に購読した「自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術」はためになる一冊だった。経験則から言って、きつい訓練に弱音を吐く隊員は訓練を乗り切る可能性か高く、愚痴一つこぼさない隊員は途中で急に折れるそうだ。読後以来、仕事の愚痴や弱音は吐くよ…
@prisonerofroad: RT @ohyeah1101: 以前このコラムで「名前がわからない最初の側室を『梅』ということにすれば、のちに生まれる娘に信繁は初恋の人の名をつけた、てな胸キュン展開にできるわけだ」と書いたけど、全然胸キュンな理由じゃなかったよメンヘラ春ちゃん…。 #真田丸 https://…
@prisonerofroad: RT @FlatDefense: 考えてみれば、秀吉は家康の扱いが上手かったな。自分のペースに巻き込んで煽てて持ち上げ、本意じゃなくても悪い扱いじゃないし流れ上面倒だから乗っておくかと諦めさせる。この家康、妥協点はそんなに高くなくて流れに任せるんだよな。ただ妥協の余地を与えな…
@prisonerofroad: RT @natsukonz: 全く知らない修士の学生からのメール「来週の授業であなたの論文を発表することにしたので、この論文の要旨とあなたの意見を5分間にまとめて話し、それを録画したビデオファイルを来週火曜までに送ってほしい」。価値観が揺さぶられる
@prisonerofroad: RT @raku_016: どうでしょう新企画を聞いた時の大泉さん#真田丸どうでしょう URL
@prisonerofroad: RT @raku_016: ドッキリで騙された時の大泉さんのお顔だ!!#真田丸どうでしょう URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @honin_info その台詞を、小早川秀秋を裏切らせて信繁をあの境遇に、実質的に追いやった人間が言うのがまた凄いなあと
@prisonerofroad: RT @honin_info: 「板部岡江雪斎を侮るな」。これって、氏政に言ったセリフとほぼ同じ。あれは今回の伏線でもあったのか。江雪斎は氏政と信繁という二人の戦国武将の心の奥底の燠火を見抜いている。この「燠火」が大坂の陣につながるのか。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @8024atc: そして「真田丸」は、ここからクライマックス。台本を引き続き読ませてもらってますが、ホントにワクワクする面白さです。どうぞ最後までお楽しみくださいませ(^^)。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @delete_masinCT 宗麟は禅宗の熱心な信者だったらしく、そういう来世とか天国とかの胡散臭さは早くから理解してたみたいですねw
@prisonerofroad: RT @1059kanri: キリスト教宣教師に対して「貴殿たちが、(魂は肉体と供に滅ぶという禅宗の教えと)逆のことを言うのは、来世の救済の願望と堕地獄の恐怖を人々に植え付ける事によって、現世敵支配がうまくいくように真実を隠蔽しているからだろう。」 これはなんとあの大友宗麟の言…
@prisonerofroad: RT @ransedoukoukai: 【真田丸を振り返って】昌幸はだいたいこんな感じだった #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @okamotokazuhiro: 愛媛に住むようになって27年、ついに見つけてしまった。 #ポンジュース URL
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: 皆様、本日の大河ドラマ真田丸、昌幸の壮烈な最期をご覧いただけましたか?泣けたでしょ?私、何度見ても泣けるのです。草刈さんの凄まじい演技、鳥肌ものでした。あの感情のない?(失礼!)丸ちゃん先生ですら、鳥肌が立ち、感動で震えたというのですか…
@prisonerofroad: RT @dojindo: 「ありゃあ本当に太閤の子か」っていう家康の台詞、その美しい若武者ぶりだけでなく「あの秀吉のように、生き残るために屈辱的でも一時の芝居一つ打てないやつだな、こいつは…火薬庫にしかならんわ」って感じの危うさを感じて、一大名として生き残る豊臣の未来はないと切…
@prisonerofroad: RT @pzgrenadier: 学習漫画世界の歴史のハシラのこのおことわりがなぜ大事かツイッター始めてよく分かりました URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @itzk_k だからあの二人が死んで痛いと思ったのは、豊臣ではなく家康の方だったでしょうね。
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: ある意味、二条城の会見って、大坂城の周辺から出たことのない秀頼に、イヤってほど辛く、「自分はもうプリンスではない」という現実を見せつけて、かえってその後の人生を頑なになさしめるよう、運命づけてしまった出来事って感じすらするなぁ。 https:/…
@prisonerofroad: RT @yougoha: 正則が会見の場にいなかったのって、単にこの時点は徳川とそういった姻戚関係結んでなかったからってだけな気もする
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @toronei 福島正則って、酒乱の一点で武闘派イメージ付いた感じすら有りますねw
@prisonerofroad: RT @toronei: @1059kanri なんていうかイメージアップや再評価される前の狡猾な官僚ってイメージの石田三成って、俺は福島正則のほうが近いと思ってるw
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @toronei 大阪の陣が始まるときは、他はともかく福島家だけは100%豊臣方だと世間では思われていたらしく、そうでなかったので福島家はかなり肩身の狭い思いをしたなんて話が残っていますね。それまで正則がどんなイメージを世間に与えていたかよくわかり…
@prisonerofroad: RT @toronei: @1059kanri 関ヶ原前から改易まで見ていると、福島正則はかなり自分の強い意志でふらふらとしている印象なんですよね。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @toronei 福島正則は明らかに反徳川の筆頭と思われていたフシが有りますからねw
@prisonerofroad: RT @toronei: @1059kanri 賛成。というか豊臣家側で、徳川への禅定に動いてた人たちが、次々に死んでいくんですよね。福島正則は関ヶ原以後、何考えてるかほんとわかんないし。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: よく「加藤清正と浅野幸長が死んだので徳川が豊臣を攻めることが出来た」なんて言われたりしますが、個人的にはむしろ、この二人が死んだために豊臣家のほうが重しを失って徳川に反抗するようになったと考えてたりします
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 浅野幸長も徳川義直(尾張徳川家の祖)の舅なので、二条城会見はいわゆる豊臣恩顧の代表格が完全に徳川に取り込まれたのを披露する場であったとも言えそうです。URL
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: 言葉だけ聞いていれば昌幸は天才軍略家なのよ。問題は、成功例が自分の城だけというw それ薄々わかりつつも、時代遅れな自分の精神保つために、大言壮語吐き続けなければならなかったというペーソスこそ、今作の昌幸の真骨頂だと思うわけです。https://…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @zorotto_BJ 家康は本当に最後まで秀頼を生かそうとしているのですよね
@prisonerofroad: RT @zorotto_BJ: @1059kanri 秀頼さんについてはいつも思っているんですよね。周りの大人が情勢判断を間違えてしまって戦になってしまった。目端の効いた人物がいて、反家康思想の人が減っていれば大阪の陣は無かったんじゃないのと。影武者徳川家康じゃないけど秀頼を活…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @zorotto_BJ そこですよね。家康と威を競う段階じゃもう無いのに
@prisonerofroad: RT @zorotto_BJ: @1059kanri 若いですからね・・あと周りが良くなかったんでしょう。情勢がもう豊臣時代ではないのよとちゃんと教えていないっつーのが
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 本多忠勝「そろそろ立花殿の斜面を…」秀忠「わしも同じことを考えていた」家康「いいけどあいつにあんまり影響受けるなよ秀忠」キーパーソンな秀忠ですねw URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: あの秀頼、自分の優秀さを家康の前で隠さない事が、逆に危ういという描写はすごいと思いました。なるほど本当に優秀なら、相手が脅威を抱かないようわざと凡庸に振る舞いますね。前田利常みたいに #真田丸
@prisonerofroad: RT @Jiraygyo: #真田丸 昌幸ロスで。忘れてた、『真田丸』の板部岡江雪斎は、たぶんに二度とここまで大きな存在にならないであろう、板部岡江雪斎であったな。戦国モノで一番大きく扱われた板部岡江雪斎。一回で変換できるようになった板部岡江雪斎。
@prisonerofroad: RT @loverkuni: 草刈正雄『ありがとう??』⇒ URL #アメブロ @ameba_officialさんから本当にありがとうございました・゜・(ノД`)・゜・ #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @icconico787: イケメン秀頼だったが、大坂の陣で後藤又兵衛に近侍した者の記録『長沢聞書』には「世に無き御太り」とあり、秀頼に対面したスペイン人の記録には「自由に体を動かすことが出来ないくらい(巨漢)」とされ、『明良洪範』は「大兵にて御丈6尺5寸(約197?)体…
@prisonerofroad: RT @suzukin_696: やっぱりさ、ここまで強い昌幸の武田への執着見てると過去の武田編スピンオフが欲しくなるんですがいかがですか。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @tateita_HI そもそも関ヶ原の結果を知った後でも森忠政に攻撃しかけてたりしますしね。全般的に印象最悪ですw
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: 真田昌幸の赦免問題は、家康は勿論、秀忠にもヘイト買っているから、無理だよなぁ #真田丸
@prisonerofroad: RT @yougoha: 正直前回の秀忠と今回の清正の最期の描写で今後の大坂の陣辺への不安が段々膨らんできてるんですけどね!例えば未だに影も形もない大野治長の描き方とか!
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @a_ri_no_ri むしろ天国に行かされたほうが昌幸的にはつらそうですw
@prisonerofroad: RT @a_ri_no_ri: 武田信玄が迎えに来て真田昌幸と一緒に行く所なんて、地獄としか思えんのだが…。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: それにしても、心から忠誠心を傾けられる主君の元で力を尽くし、満足げに死んでいった本多忠勝と、そういう存在だった信玄を失い、信玄の影を追い駆け続け死んだ真田昌幸。実に印象深い対比でした #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 死してなお平安を望まず、魂まで戦いに染まった昌幸を、信玄がヴァルハラに迎え入れたのだなあ #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: やっと、武田信玄が昌幸を迎えに来たのだ #真田丸
@prisonerofroad: RT @nidojiru: 昌幸があの世に来た時の為に、奴を殴りたい武将が列を成しておる。わしも居る。ちなみに先頭は滝川一益ぞ。#真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: この昌幸の対徳川作戦、武田信玄の「上洛作戦」の焼き直しですね #真田丸
@prisonerofroad: RT @tadataru: なんか良いシーンに見えるけどじじい酷いこと言ってます。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 史実で言うと、加藤清正は娘婿の徳川頼宣の「供」としてこの二条城会見に参加しており、細川家の記録によると、会見の後秀頼が清正の京屋敷で休憩を取ろうとするのを、清正は「拒否」しています。彼は豊臣家と距離を取りたがっていたと言えるでしょう #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: この「自分の城に呼びつける事が相手の臣従を表す」、というのがこの時代の常識だったとされます #真田丸
@prisonerofroad: RT @nidojiru: わしの家臣が随所随所で美味しいところを持っていきおる。嬉しみ。#真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 自力救済の否定 #真田丸
@prisonerofroad: RT @bohshi: まさか板部岡さんがここまで重要人物として描かれるとはなあ。最初は思いもよらなかった。
@prisonerofroad: RT @8024atc: もうすぐ「真田丸」。江雪斎出ます。オンタイム待機。
@prisonerofroad: RT @hidekiyo_mikawa: 今回の大多喜お城祭りで藤岡弘、さんは真田丸で演じる時と同じ髷、髭、約30kgの重量がある真田丸の劇中で着用している藤岡さん専用のあの甲冑 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: ふと思いましたが、ドラマの中でほとんど接点のなかった真田昌幸と本多忠勝ですが、この信之の「2人の父」は、実はかなり対比して描かれていた気がします。というかあの忠勝は、「武田信玄が死ななかった時間軸」での昌幸だったのではないかと #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @ut_ken アレ、信玄の上洛計画ですよねw
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 御屋形様が、迎えに来たのだなあ #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: ああ、「信玄の目」真田昌幸…(´;ω;`) #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: おおお!二条城会見の意味をきちんと説明している! #真田丸
@prisonerofroad: RT @ain_ms: 音にびっくりして藤岡さんが乗ってたお馬さんが興奮しちゃって、優しくドウドウ…ってしてる忠勝さま。スーパーかっこよくて、優しくて、そして笑顔がキュートだった。#真田丸 #大多喜お城まつり URL
@prisonerofroad: RT @goushikataoka: 先週21日の日銀のMPMにつきまして、中身と枠組み変更がもたらす意味についてまとめました。3分では読めないと思いますが(笑)、宜しければご覧下さい! / 金融緩和の総括的な検証と新たな枠組みをどうみるか...URL…
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: 黒田基樹氏より『真田信繁』(シリーズ実像に迫る、戎光祥出版)をご恵贈いただきました。この場をおかりして御礼申し上げます。現段階で判明している、真田信繁の事績を簡潔かつ、的確にまとめております。丸島氏の著書とあわせて、最新研究の総まとめと…
@prisonerofroad: RT @amneris84: 豊洲の建物地下空間の大気と水について、昨日の視察後に記者会見した専門家のコメントを伝える記事。見出しで安全性を強調する日経(右上)、安全方向の情報は出さない朝日(下)、手堅く客観事実のみを伝えた読売(左上)。社風の違いが見て取れる https://…
@prisonerofroad: RT @ano_ano_ano: NHKスペシャル『縮小ニッポンの衝撃』、冒頭に人口減少の原因について、「年収200万円じゃあ子供なんてつくれませんね」と説明されているのに、それへの対策は一切なく、人口減少の続く夕張や島根の農村の様子を紹介して、これからどう耐えるか?の話に持っ…
@prisonerofroad: “ブラッド・ソーン、41歳で選手復帰|Player of the week|RUGBY REPUBLIC(ラグビー共和国)” URL #rugby