2016年10月10日のツイート
@prisonerofroad: 乙です。 / 他2コメント URL “闇よ落ちるなかれ - himaginaryの日記” URL #economic_policy #Summers #himaginary
@prisonerofroad: 乙です。 / 他5コメント URL “ノーベル経済学賞は社会民主主義に立ち戻るべし - himaginaryの日記” URL #economics #himaginary
@prisonerofroad: RT @himaginary_: 問題は、どんなに「正しくない」ことであっても,「既に知られていないこと」を繰り返し叫ぶと「研究」になり、それがイデオロギー化することがあることURL … URL
@prisonerofroad: RT @himaginary_: 「我々は学界全体としてそうした政策に距離を置いていたことをアピールしておきたい。日本の経済学界は純化が徹底した点で世界をリードしている。」と続けても余り違和感なし!? URL / “清水功…” https…
@prisonerofroad: RT @himaginary_: コメントが流されたので要点だけ:増税の影響は短期は自明。長期はサマーズらが流動性の罠を前提していることに注意。長短の影響を各人が現実的と思うparameterで織り込めるようにした=恣意性が入るのはバグでなく仕様 / “<dat…” https…
@prisonerofroad: RT @himaginary_: 成長率が外生にしても、一律の値が設定できるだけで、消費税率の推移に応じた時系列推移が設定できないのはモデルと言わず計算機としてもやはりあかんやろ、とばっちゃが言ってた。 / “ときわ総合サービス研究所さんのツイート: "東京財団…” https…
@prisonerofroad: RT @himaginary_: 要は、消費税の消費への影響を見る際に、小生がブクマした厚労省資料における世帯構成変化要因を、経済学で言う「他の条件」としてコントロールするべきか否か、という話に帰着する気が。 / “はてなブックマーク - 家計最終消費支出と消費…” https…
@prisonerofroad: RT @himaginary_: 考えられる乖離の原因:自動車など購入頻度の少ない高額品、帰属家賃、中古品、農産物の自家消費、現物給与…と書きかけて見つけたURL によれば世帯数の増加が乖離の主因との由。 / “家計最終消…” https…
@prisonerofroad: “教員書籍の紹介 Vol.9 「真田信繁」|法学部|駿河台大学” URL #history
@prisonerofroad: "従来は、家康は確信的に秀頼を潰そうとしていた、とみられていましたが、近年になってようやくそれらの政治過程について再検討がみられるようになりました。" / “大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(37…” URL #真田丸 #history
@prisonerofroad: 33件のコメント URL “「史実では、信繁が幸村と改名した事実はありません」 『真田丸』時代考証の丸島和洋氏による解説 - Togetterまとめ” URL #history #真田丸
@prisonerofroad: 2件のコメント URL “「真田丸」主人公・真田信繁ついに幸村に!猛将の側面描き終盤へ加速 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能” URL #真田丸 #interview
@prisonerofroad: RT @efuwara: 学費ぐらい自分で働いて稼げっていうシバキの人結構多いですが,うちの場合,学費の何倍もの公費が投入されているのであって,その分,学生は勉強しないあかんのです.バイトで勉強時間を削るというのは,投入している公費の無駄遣い以外の何でもない.
@prisonerofroad: RT @siiiiiz: 電通社員の一件について50代前後世代が「オレらの頃は200時間〜」とか「週1回帰れれば良い方」とかFBのコメントで盛り上がる様子見て、この人達が企業の上に居る限り長時間労働は無くならないし苦しむ若手社員も減らないと確信したけどね。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 鬱は心の風邪、って表現が最悪だったんですよね。誤解しか生んでない。
@prisonerofroad: RT @naclaqns: こう…鬱病の事を心の病とかメンタルがどうとか言うでしょう そういうあやふやなものではないです 脳の機能がおかしくなる病気です どっちかっつうと肝硬変とかの仲間なので気合ではあんまり治らないです
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 頼康は系図上の名前というか、間違って伝わることの方が多いんです。頼綱の頼は武田勝頼からの偏諱(それまでは綱頼)。頼幸は確定し難いのですが、父と同じか、武田滅亡後、頼が矢沢の通字になった結果。真田の通字が武田滅亡後、信になるのと一緒(近世で幸と併…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 板倉勝重書状によると、織田頼長(有楽の子)と大野治房が且元を「きり申すべき」と話していることが且元に伝わったとあります。淀殿は起請文まで出して且元を説得しましたが、無駄に終わっているので、相当緊迫していたのでしょう。 URL…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 前半。当時はけっこうアバウトで、武家官位制を整えたとはいえ、名国司クラスはダブっていました。大臣レベルになると、問題になります。後半。矢沢三十郎の諱は頼幸が正しく、頼康は誤伝です(名乗ったことはありません)。また南北朝期以降、偏諱を受けた場合は…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 当時崇伝は駿府に拠点をおいており、また文英清韓は同寺の塔頭の住職なので、事実上独立した立場にあり、いちいち相談したりはしないです。 URL
@prisonerofroad: RT @ef_Alato: 片桐且元追放について、丸島先生のツイートの「大名間外交の取次役を理由もなく処刑・追放することが開戦のきっかけになる戦国期の慣習。」というのが無くても、交渉中にその窓口担当を勝手に無くしたらそりゃ「もうあなたと話すことは何もない」と取られても仕方ないの…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 正直、まとめて整理している方はいないんじゃないかと思うんですが、ちらほらと触れている人がいて、史料読んでいるとどう考えてもそうだよなぁという感じ。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 近世真田家臣が記した歴史書に、そのような記載があったような気もするのですが、ちょっと確認できません。ただ、信繁元服は武田氏滅亡後、かつ昌幸は信玄に強い畏敬の念を抱いていたことは確からしいので、可能性はあります。もっとも、武田信繁の顕彰は、信之の…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 事態収束の有無は関係ありません。交渉責任者たる取次を、自分の家臣だからといって一方的に処罰すれば、宣戦布告と受け止めるのが当時の一般的なあり方だったということです。これが且元に他の仕事を任せるので交代させたい、ついては今後は大野治長が担当するの…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: はい。秀忠は豊臣家滅亡を検討しています。その意味でも、家康は生前に決着させて、遠国へ移して一大名にしてしまいたかったのでしょう。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 史実では「嘘をいった」わけではないのです。「幕府サイドから秀頼に異心のないことを形で示せと言われたので、自分で考えた私案を提示したところ、秀頼サイドが激高した」という流れです。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 名乗りますね。公式に免官されても(この時代はめったにないですが)「前左衛門佐」となりますし、そもそも当時の官位は自称が当たり前でしたから。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: あるかもしれませんね。ただ、昌幸・信幸ときているのと、真田の系図で直系の先祖ということになっている海野は代々「幸」をつけているので、意識はしたかもしれません。ただ一般に、「通字」を意識しない系図作者・軍記物作者が多いという話。 https://…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ようするに家康は難癖をつけたというよりは、主観的には真面目な疑問をぶつけたわけで、秀頼が事態を理解できなかったといえる。且元の苦労もここにあるわけで。ただ「国家安康」の件は、西国発の新興儀礼に東国の家康が古典復興の観点からノーを突きつけた感じで…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 他にも家康の修正提案をことごとく秀頼が蹴っでおり、そのなかで「国家安康」が出てくる。家康は五山の禅僧に諮問をしているが、実はあまり批判するような回答は得られていない。同時に、文英清韓が本当に高僧なのかという履歴調査も指示する等、家康はかなり真剣…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 補足。且元の交渉が上手くいかなかった理由のひとつは秀頼で、家康は開眼供養と大仏殿の堂供養を同じ日にするのはスケジュール的に無理があるので、堂供養は十七回忌なのだから秀吉命日に移せといったところ、秀頼が秀吉命日は「臨時之祭」があるからできないと拒…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 秀頼の「頼」を「?」とは書かないとか、いっぱい。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ご説明がちょっと通じていないようで。カウンターパートになり得る人が取次に選ばれるのはそうなのですが、家老クラスと側近でペアを組むことが多いです。だから大野治長でもまったく問題ない。問題なのは、合意された取次を外交問題を理由に勝手に罷免・処刑した…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 通字かどうかというのは、実は江戸時代の軍記・講談作者・系図作成者にはほとんど意識されていません。実名がでたらめだらけだからです。昌幸の幸を使おう、という程度です。どれくらいいい加減かというと、「武田二十四将」は過半数がでたらめな名前で伝わってい…
@prisonerofroad: RT @nunonofuku123: 真田幸村という名前は後世になって、真田信繁とおおっぴらに言えないので軍記物の仮名として使われたが、あまりに有名になりすぎて真田信繁の名前が忘れられて水戸黄門が「真田幸村じゃなくて真田信繁だからな!」って後で記録したくらい。#真田丸
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 一番最初のツイートで既に述べていますが、信繁から幸村に改名したという事実はありません。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 実際には、本多正純・金地院崇伝と駆け引きを続けていたようです。曽根さんのご見解では、「家康に会えなかった」のではなく、「家康に会わなかった」のではないかと。家康の意向は正純に聞けばわかりますし、「会えなかった」と示して秀頼に事態の切迫を印象づけ…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 大名間外交の取次役を理由もなく処刑・追放することが開戦のきっかけになる戦国期の慣習。現代風にたとえていえば、派遣していた大使を引き上げて後任も任命せずに大使を空席にし、召し返した大使をスパイ容疑で銃殺するような感じでしょうか。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: @koikera 近年の研究では関係は良好で、関ヶ原後も、北政所は豊臣のために淀殿と協力して尽力していたことが明らかになっています。ただ、隠居生活の立場から、という形ですが。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: @urakkun26 本丸衆というのは、豊臣秀頼の側近の総称に過ぎません。「家宰」というのは、筆頭家老であって、室町幕府であれば「管領」に値するものです。考証担当者は、双方の合意のもとで定めるので、合意がない以上相手とみなされません。この後は大…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: @Qingmu_Ling 旧字体も数ある崩しのひとつで、当時の崩しをみると新字体に近い場合があるからです。旧字を用いたほうが良いと判断したものは、気がつき次第指定をしますが、すべての小道具のチェックはできないので、漏れは出ます。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: なおこの石合十蔵(すへの夫)への返書の写は、所在不明で拙著にも間に合いませんでしたが、ようやく所在が再確認でき、現在上田市立博物館に展示されているとのことです。是非お立ち寄りください。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ドラマでは、信繁が去就に迷った者として「家族」が暗示されていたようです。実際には、信繁は九度山の隠遁生活を嘆いており、武家社会復帰を待ち望んでいました。ただ、彼が家族の身を案じていたことは、長女すへの夫石合十蔵宛の返書などからも窺えますから、間…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 史料上、淀殿の通称は「おふくろさま」(幕府方であれば「おふくろ」)が一番多いのですが、「おふくろさま」「おかみさま」の両案を提示して、ご検討いただいた結果、「おかみさま」に落ち着きました。信繁は関ヶ原前は「おかみさま」と読んでいたのに、且元との…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 淀殿の呼称。ドラマでは秀頼誕生後のある段階から、「おかみ様」に統一しました。これは室町幕府将軍御台所にも使われた敬称で、淀殿にも血いられました。史料上では「上様」で、「うえさま」と読めば将軍、「かみさま」と読めば御台所となりややこしい。「かみさ…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: だから徳川方のほうも、「どうしてこうなった」という人が多かったと思われます。家康自身、軟着陸を望んでいた気配が濃厚ですが、自分の生前に秀頼を服属させたかったのかも知れません。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: この時期の豊臣家というのは、「そして、誰もいなくなった」状態を、徳川にも仕えている外交通片桐且元が支えていたものでした。したがって彼が外れると、徳川としても秀頼との意思疎通が難しくなり、秀頼方は「井の中の蛙」状態になっている。ばかりか、自家の財…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 幸綱の父は海野棟綱ではなく(彼は舅か外祖父)、真田頼昌ですが、矢沢家の菩提寺の系図にでてくるだけなので、正しい実名かわかりません。昌輝・昌幸をはじめとする「昌」は、武田信玄から与えられたもので、当時の武田家臣・従属国衆にいっぱいいます。 htt…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 完全に俗説です。冒頭で書かれているように、村正は三河で流通していた刀ですので、そもそも「家康が気味悪く思う」わけがないのです。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: そこで秀頼は、京都所司代板倉勝重、さらには家康・秀忠に対し、「片桐且元に不穏な動きがあったため」と釈明をしますが、この展開ではお話にならない。家康は既に「片桐且元が大坂を退去したら出陣する」旨を定めていました。このあたりも、ドラマで描いていただ…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 問題は、且元が対徳川氏担当取次であったことです。小牧・長久手合戦の発端が、秀吉との交渉を担当していた家老を織田信雄が斬殺したことであることからも明らかなように、理由もなく取次を処断することは、宣戦布告と捉えられかねない危険な行動でした。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: これに怒った秀頼が、「出仕しないのであれば大坂から退去せよ。そうしなければ屋敷を焼き討ちする」と通告したため、10月1日、大坂を退去して居城摂津茨木城に戻ることになります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: しかし且元の策は裏目に出て、豊臣の「本丸衆」(大野治長等)から「徳川に内通していると疑われ、暗殺の危険を感じます。その結果、且元は大坂城内の屋敷に籠もり、秀頼・淀殿の出仕命令を頑なに拒絶します。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 次に、片桐且元が「勝手に和解条件を考えた」というのも史実通りです。これにつきましては、曽根勇二『人物叢書 片桐且元』(吉川弘文館)をご参照ください。且元としては、敢えて幕府の姿勢を強硬なものと示すことで、豊臣を穏便な形で江戸幕府下の大名として存…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ですから、片桐且元が困惑するのも無理からぬ話です。それどころか、これ以降の急速な事態の展開には、金地院崇伝や板倉勝重、本多正信も戸惑っている気配があります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: この「「国家安康」は喜んで貰えると思って書いた」という話は、戦前から論文発表されていたはずですが、なかなか研究者の間でも共有されません。思い込みというのを糺すのは、本当に難しい。したがいまして、ドラマ中で文英清韓がとうとうと述べていたのは、史料…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: そして幕府から詰問された文英清韓は、「国家安康と申しますのは、御名乗りの字を隠れ題にいれ、縁語(表現の面白みやあやをつける事)をとったものです」「君臣豊楽も、豊臣を隠れ題にいれました。こういう事例は過去にもございます」と「喜んで貰えると思って…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: その後提出された鐘銘の写をみて、「御諱」が刻まれている点を特に不快に感じたとあります。しかし、私が戦国史研究会8月例会で報告したように、西国の戦国大名書札礼を継承した豊臣政権下では、「実名」を書くことが尊敬の念を示すものでした。拙著『真田信繁の…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 家康は大仏殿の鐘銘について、「後世に残るものである」「時の天下人が作ったものであると理解されていくだろう」「現在の天下人は家康なので、恥ずかしいものは作りたくない」「しかるに田舎者が書いたような悪文らしい」と、写の提出を命じます。したがって、「…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: この件は論点が多すぎるの絞りますが、雲行きが怪しくなったのは、大工中井家から家康に対し、奉納される棟札に「大工」である自分の名前がないという訴えがなされたことにありました。家康が「常識に反する」と不快に思っていたところ、鐘銘が「やたらと長い」と…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ドラマで描かれていたように、且元は方広寺大仏殿造営について、家康に逐一報告をしており、家康も「それでよし」としていました。鐘銘については、頼朝による大仏再建の記録を踏まえるという報告を受け、喜んでいます。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: それで肝心の「方広寺鐘銘事件」ですが、いまだに二次史料である『駿府記』から立論する方が多いのは少々困惑します。ここでまず抑えておくべきは、大工頭中井家関係史料と、金地院崇伝の『本光国師日記』です。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: ですから、且元の「徳川の禄も食んでいる」という立場を見落とすと、政治史状況把握が困難になります。またそもそも、且元ひとりでは豊臣家の運営は困難で、家康が任じた京都所司代板倉勝重の支援を受けて、領国仕置きを担っていました。豊臣の領国経営は幕府の支…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: したがって、且元の立場はちょっと複雑です。豊臣秀頼の家老として領国仕置きを指揮し、家康との交渉役(取次)に任じられる一方で、徳川氏の家臣という側面ももったからです。足利義昭と織田信長双方に仕えた明智光秀と同じ形ですね。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 関ヶ原の戦後処理に際し、秀頼の責任論に発展することを危惧した淀殿は、片桐且元に家康への取次を指示しています。片桐且元が豊臣側の対徳川氏担当取次となったのは、こういう経緯に寄ります。その際、且元は家康の指示で加増をうけました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 関ヶ原の結果、石田・大谷・宇多・石川一族は処刑・討死または失脚しました。この結果、大坂城中の古参の家臣は片桐且元の双肩にかかることになったわけです(他にも少しいますが)。劇中で「気がついたら私一人になってしまった」とあるのはその反映です。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 前にもあげましたが、昌幸・信繁父子は大谷吉継・宇多頼次を介して、石田・石川氏と姻戚関係を構築していました。添付の図に「秀頼傅役」と3人付していて、残る1人が片桐且元です。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 「方広寺鐘銘事件」の流れを理解するには、片桐且元の立場の把握が重要です。且元は、秀吉死後、大坂城奉行四人衆のひとりとして、事実上の傅役となりました。他の3人は、石田正澄(三成兄)・石川光吉(一般に貞清、信繁上司光元の弟で妻は大谷吉継妹)・石川一…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: まず、秀頼がみている大仏殿の設計図。見事に実物を再現していただきました。大仏殿再建を指揮した大工頭中井家に伝来しているものです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 前半は、「方広寺鐘銘事件」でした。本作は、可能な限り真田一族+きりがみていないシーンは描写しない方針ですので、片桐且元自身から経緯を聞いたという形(三成・吉継の最期と一緒)。「こういう解釈できたか」というツイートが散見されるのですが、実は大筋で…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 冒頭から。明石全登と歩いているシーンで、五輪塔が映りました。あれはいいですね。中世の五輪塔はあんな感じです。「火輪」という屋根の部分の反り返りが小さいんです。江戸時代になると大きく上にそるようになります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 「幸村」という俗称がどう生まれたのかもわかりません。「幸」が真田氏の本家海野氏の通字であることは確かで(実は真田氏の通字は本来「綱」、海野棟綱?真田幸綱?信綱)、近世真田氏がそれを重んじたのは事実なのですが、「村」がどこから来たのか、さっぱりで…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: この点は、制作統括の屋敷さんと堺さんがインタビューに答えておられますので、ご参照ください。「信繁という名前を捨てたわけじゃありません。通称として、大坂の陣に臨む時は幸村と名乗ったという設定です」(屋敷さん)URL…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: さて、ついに「幸村」放映です。史実では、信繁が幸村と改名した事実はありません。討死前日に出した感状でも、「信繁」と署判しています。「真田丸」での設定も、改名ではなく、別に通名を用いることにしたというものです。
@prisonerofroad: RT @yonakiishi: 昨日、座が真田丸の話になって、俺も好きで見てるので、あれこれ関ヶ原がらみを話し、輪に入ってこない20代のねーちゃんに振ったら、「私、その頃はまだ生まれてないので、世代的にわかんないです」とすごい方向からシャッターを下ろされました。俺はまだまだ頭が…
@prisonerofroad: RT @nekomekko: おはようございます!今朝の南日本新聞より。みなみの本棚に真田丸の時代考証、丸島和洋さんの「真田信繁の書状を読む」の紹介!!確かに再来年の「西郷どん」も、わかり易く楽しく正しく時代考証してくれる方だといいなあ。主人公だけを引き立てるため、誰…
@prisonerofroad: RT @3103_ky: 個人的に桂小五郎より木戸孝允が好きっていうか、桂小五郎が木戸孝允になるのが良いんだ。幕府が通商条約結んだとき「幕府に英雄がいない」と嘆いてたにーちゃんが、幕末のもろもろを経て「政府に英雄がいたところで人民がアホじゃどうにもならないよね」となるのが好きな…
@prisonerofroad: RT @FlatDefense: 片桐且元「いかに豊臣が存続できるか、その後に少しでも権威を残したい」他の豊臣家臣「豊臣が存続するのは当たり前だろ?権威を如何に維持するかだ一歩も引けない」あれだな、戦を知らない奴ほど主戦論っていう #真田丸 URL…
@prisonerofroad: RT @gretti10: ハッキリ言って、真田丸における豊臣秀頼の描かれ方は「現時点においては」物凄く、秀頼ファンの人には辛い(昨今の大河ドラマと比較しても、相当に無能に)描かれてる。これは石田三成の描き方にも近い。URL
@prisonerofroad: RT @gretti10: 真田丸、エンタメの楽しみ方は人それぞれだけどさ、イケメン秀頼初登場回で、「今回の秀頼は優秀!」みたいな感想多かったけど、あれ、どう考えても「やる気満々な無能な人物」という皮肉的に描かれてたよね。特に二条城会見辺りの場面。URL…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 「史実では、信繁が幸村と改名した事実はありません」 『真田丸』時代考証の丸島和洋氏による解説 - Togetterまとめ URL @togetter_jpさんから
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: 題材発表された頃から考えてたのかwww / 「真田丸」真田幸村“くじ”で誕生の舞台裏 構想2年 三谷氏の軽妙さ(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース URL #Yahooニュース
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @nonomaru116 家光はおじいちゃん世代の伊達政宗とか藤堂高虎とか立花宗茂なんかの割りと偏りのある連中が大好きなので、むしろその影響で歪んだ可能性もw
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: 似たような感じのいとこの3代将軍が、多少性格歪んでたけど、楽しいおじさま方に囲まれていたこと考えると……まぁ、周りも、本人も、そういうのを「屈辱」と思い込んでいたろうから……。 URL
@prisonerofroad: RT @yougoha: 出そうと思えば出す機会あった大野治長や有楽斎を今まで出さなかったのは、片桐さんが追い出されることで「あの日の豊臣家臣は誰もいなくなってしまった」という印象を強調するためだったのかなと思ったり
@prisonerofroad: RT @oimyg: 国宮安城君台仙楽#真田丸
@prisonerofroad: RT @nyahoimaru: 徳川を二度も破ったあの真田昌幸 #丸絵 #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @stdaux: 「徳川家康が江戸を拓いた時、中部地方から武士をたくさん連れてきた。そのため東京弁には駿河や尾張地方の方言の影響が見られる。千駄ヶ谷は元『千』という地名だったが、武士たちの伝言ゲームのうちに千ダガヤと転訛した」という嘘をよくついている。たまに信じてくれる人…
@prisonerofroad: RT @yougoha: 家康は何だかんだで「この辺で手打ちにしたるわ」な戦国体質だからね……シルバーマン秀忠は容赦はしないのだ
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: @kazumaru_cf そうそう、家康より秀忠の方がなぜか対豊臣強硬派なんだよね。家康はぎりぎりまで、秀頼を説得しようとしている。通説とはかなり違う。
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: 念のため、ここに書いておきますね。真田信繁は、「幸村」と名乗った事実はありません。大坂入城時に改名したんだ、と信じるのは自由です。史実はどうなのか?と問われれば、それはないとしかいえないのです。
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: @HIRAYAMAYUUKAIN ということで、丸ちゃん先生の『戦国大名の外交』はぜひ読みましょう。ここ数年に出た中世史の著作では、本当に名著ですよ。年下ながら、凄い実力の持ち主だなと感嘆します。
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: @HIRAYAMAYUUKAIN どうなるかがわかるはずです。秀頼は、極端にいえばおぼっちゃまで、裸の王様だったんですよ。世間を知らなかったんですな。伊達政宗が、秀頼を大坂に置いておけば、彼を担ぎ出すいたずらものが出てくるだろうから注意…
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: @HIRAYAMAYUUKAIN っていっていた時代があったんですから。まぁ、今もその思考が抜けない年上の研究者がいますけどね。ちゃんと研究ぐらい把握しないといけないよね。学生にだって、そのように教えてきたはずでは?いずれにせよ、取次役…
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: @HIRAYAMAYUUKAIN それ以前は、例えば穴山信友(甲斐武田一族、梅雪の父)が、今川義元から知行を与えられていたことを、今川氏に通じていたとか、北条氏より小山田、向山、飯富氏らが知行を与えられていたことを、戦国大名の知行制や主…
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: 大名間外交の要である取次役は、交渉相手国より「取次役給」ともいえる知行を与えられた。また取次役を処罰することは、交渉相手国への宣戦を意味した。こうした実態は、丸島和洋『戦国大名武田氏の権力構造』、『戦国大名の外交』で体系化されるまでほと…
@prisonerofroad: RT @mmhinoeuma: #真田丸 同感です。名胡桃城事件の頃から思っていたのですが、「真田丸」では陰謀で事件が起きるのではなく、意外に偶発や成り行きで起こっており、それに何とか対処しようとして道を誤っていくように描かれています。そういう点がうまいなと思います。 http…
@prisonerofroad: RT @yougoha: 家康「こうして火種を投げ込みじわじわと豊臣を追い込み服属させてやるぞクックックッ……あれ?燃え広がるの早くないちょっと?あれあれ?」秀忠「よっしゃ」
@prisonerofroad: RT @yougoha: 河内畠山に関しては私はうるさいよ!畠山高政が二度も家臣に追い出されたなんて言ったらモンペ化するかんな!
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: 秀頼家臣には山名堯政(但馬山名氏、大坂夏の陣で戦死)、細川頼範(細川京兆家、大坂の陣後三春秋田家客分、子孫は家老)、畠山政信(河内守護畠山総州家、詳細不明)って、血筋はいいけど使えなさそうなのがたくさんいたのかw
@prisonerofroad: RT @kemono_niku: 真田丸視聴者が「豊臣の深刻な人材不足」「ノウハウが死んだ」と口にするたびにわしの脳裏を掠める大内家。日ノ本の対外貿易ノウハウは相良と共に死んだのだ…
@prisonerofroad: RT @a_ri_no_ri: @a_ri_no_ri 家康「大軍がそんなに急いで来るな!」秀忠「いいえ、聞きませぬ。父上にお任せしたら、戦はほどほどにしてヌルい条件で和睦してしまいます!」というやり取りが見たい。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 信繁から幸村にクラスチェンジしたら、ファッションだけでなく顔つきまで変わりましたね #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: まとめ管理人(引いた紙を渡す)信繁(開ける)「……これも入れてしまったのか」真田信繁の新しい名前は真田幸銭です!!URL
@prisonerofroad: RT @a_ri_no_ri: 家康は、あの後、のんびり鷹狩りしながら上洛していくが、その後を大軍なのに無理して高速で追いかける秀忠は見られるのだろうか?見たいけど、ちょっと無理そうだな。
@prisonerofroad: RT @dokudamiY: 九度山村の「村」ってことは「山」の字もあったわけで、「山幸」とかもありえたわけか。キノコかな。
@prisonerofroad: RT @ecohis: @1059kanri 「喜」だったら脚本書いてるんでしょうかね
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @mono_kisaragi おもに京都所司代が管理していたようですね。大阪の米市場の運営も、京都所司代から派遣した人材で運営していたようです
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 実際には八百万の神に託さなかったのが昌幸、本当に託してしまったのが信繁、とも言えますねURL
@prisonerofroad: RT @AdachiTeyandei: 第二話と同じ台詞……同じやり取り……(´;ω;`) #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: どうしたって更に徳川に依存しなきゃやっていけなかったでしょうね URL
@prisonerofroad: RT @AannnnaNB: 1年続くドラマをちゃんと面白く作れるもんなんだなぁ…
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: 九度山と大坂の時代の流れからの置き去り振りが、同レベルという話 #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 大助(引いた紙を渡す)信繁(開ける……「これも入れてしまったのか」大助「やり直しましょうか」信繁「……そうしよう」「鯛」 #真田丸
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: 大助(引いた紙を渡す)信繁(開ける……「これも入れてしまったのか」大助「やり直しましょうか」信繁「……そうしよう」「銭」 #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 幸村爆誕 #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 真田信繁改名ドラフト会議抽選会 #真田丸
@prisonerofroad: RT @bankolan: 本日の総出演者より多い? #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @muhonnocream 実はそういうものの積み重ねで大阪の陣なんですね
@prisonerofroad: RT @muhonnocream: @1059kanri 家康が難癖つけたというよりも家康が割りと常識的な対応取ってたという感じがどんどん強まってくる。
@prisonerofroad: RT @alpe_terashima: ふざけて作ってみた。反省はしてない。 #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 相手との「取次」を勝手に処分することは、相手へ敵対したことに成る、というのは当時の慣例通りですね #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 上様ではなく「我が殿」なんですね #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: いやあ、まさしく豊臣家は人材不足ですねw #真田丸
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: 後、鐘銘については長々しいという苦情も #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 「国家安康」が呪詛だというのは、大阪の陣の終わったあと、林羅山が言い出したことで、大阪の陣当時はあくまで不敬問題ですね #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: この才能に鼻をかけたいやらしいインテリそのものの文英清韓よw #真田丸
@prisonerofroad: RT @higashi_kokuba: 本日、CX「バイキング」の生OAが終わった後、鳥越氏が握手を求めて来た。そして、「実は、貴方の言う通りだ。僕は、思い付きで都知事選に出馬したから、そこを突かれると万歳・お手上げだんだよ」と言われた。返す言葉が無かった。
@prisonerofroad: RT @sanada_kunishu: 大阪城?盛り上がってる??何人集まってんだ?草刈さんのトークショー?#真田丸#真田昌幸#大阪城#パブリックビューイング URL
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: 方広寺鐘銘は、家康の名前だけでなく、一部の五山の僧からは「外施仁政」という銘文が、後水尾院の諱「政仁コトヒト」に障るって指摘もあったそうで……こっちの方がまずいかもしれないw #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 自分の知る限り、方広寺鐘銘事件の文案を書いた文英清韓にきちんとキャラ付けをした大河は #真田丸 がはじめて
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 色んな意味で「そうきたか」と思わせる内容でした。さあいよいよ来週大阪入城 #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: ナントカ官兵衛! #真田丸
@prisonerofroad: RT @nantengoh: えええええ待って待って西の丸組これを大阪城で見てるん…#真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 今までで一番ビックリした展開かもしれない #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: えええええええええええええええええええ片桐さん #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 文英清韓をこんなキャラにするとは。真田丸は他の大河で、類型的に描かれサラッと流される人物にきちんとキャラ付けをするのが面白いですね #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 大野治長! #真田丸
@prisonerofroad: RT @HIRAYAMAYUUKAIN: 真田丸最終章、いよいよ始動します。でもね、三谷さんの脚本を読んだり、試写を拝見していると、今回の大坂の陣、豊臣方は勝てるんじゃないか、いけそうだ、と思ってしまいますWWそれほど、脚本といい、俳優陣の演技といい、迫ってくるものがありますよ…
@prisonerofroad: RT @joker_budou: ここまで凄い横読みは見た事無いわ。 URL
@prisonerofroad: 横浜優勝や!
@prisonerofroad: 264件のコメント URL “大戸屋の「第三者委員会からの調査報告書」がそのまんま土曜ワイド劇場でお腹いっぱい : 市況かぶ全力2階建” URL #business #ネタ
@prisonerofroad: 156件のコメント URL “ワタミに入社二カ月で自殺した娘さんの両親が和解金でブラック企業と戦う基金を設立した件について。?|?中嶋よしふみ” URL #ブラック企業 #society
@prisonerofroad: “トランプのセックストーク・スキャンダルがようやく共和党の目を覚めさせた|アメリカ大統領選、やじうま観戦記!|渡辺由佳里|cakes(ケイクス)” URL #USA #politics
@prisonerofroad: "この件だって、多分延々と電通だけを批判して、自分の働き方のことを考える人はいないでしょう。苦しそうな同僚のことは遠くから見るだけです。" / “電通新入社員は日本社会に殺された|世界のどこでも生きられる|Ma…” URL #society
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 林真理子さん『西郷どん』語る - NHK鹿児島県のニュース URL>政治的な話ではなく誰も書いたことのない西郷さんを書きたいと思った:いかんどうしてもこれを思い出す URL…
@prisonerofroad: 乙です。 / 他43コメント URL “なぜ資本主義は無意味な職を創出するのか - himaginaryの日記” URL #economics #himaginary
@prisonerofroad: 21件のコメント URL “30代男性「自転車競技はとてもお金がかかり、底辺拡大のハードルになっている気がします」 - cyclist” URL #cycleroadrace
@prisonerofroad: 478件のコメント URL “【電通過労死事件】被害者のツイートから浮かび上がる電通の体質 ? メンヘラ.jp @dentsudigitaljp” URL #これはひどい #ブラック企業