2016年10月17日のツイート
@prisonerofroad: “続報!「破斯清道」は正倉院文書「土師浄道」と同一人物か!?ペルシャ人では無かった日本の下級官吏はじのきよみちの17年後の昇進について - Togetterまとめ” URL #history
@prisonerofroad: "今回、新たに後藤基次と毛利勝永が登場してきました。両者とも、一般的にはその名で知られているのですが、現在のところ、「基次」にしろ「勝永」にしろ、当時の史料では確認されていません。" / “大河ドラマ…” URL #history #真田丸
@prisonerofroad: RT @dragoner_JP: しかし、今更ながら思ったのだけど、長谷川豊って「フリーアナウンサー」を自称しているわけでしょ。アナウンサーが「殺せ」って言ったら、それルワンダ虐殺の扇動放送となにが違うんだって事になるよなあ……。それを後から「スラングだ」って通るわけないだろ……
@prisonerofroad: RT @hervorruf: お早うございます。本日は旧暦の真田伊豆守信之公の祥月ご命日です(万治元年1658年10月17日)。享年93歳。万治元年の天子は後西天皇、将軍は四代徳川家綱。同年に生まれているのは柳沢吉保や室鳩巣。昨日の #真田丸 放送回当時で伊豆守様は49歳。…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 大坂は大坂なので、別に憚ってはいません。あくまで信繁の用いた呼び方を採用しただけです。秀忠は、むしろ御所様、公方様と呼ばれることが多かったでしょうが、江戸時代もので馴染みのある上様に落ち着きました。 URL
@prisonerofroad: RT @archivist_kyoto: まともだ… URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: @kanbarajirou03 ご返信遅れました。片桐且元の退去はずれにずれて10/1になるのですが、その話を9/29or30にされたが日付けの記憶が曖昧としている点などからして、大筋で信頼してよいものと思われます。留意すべきは、彼が得られた情…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 一点訂正。上田市立博物館で展示されている信繁書状写(石合十蔵宛)は、写真パネルとのことです。「「史実では、信繁が幸村と改名した事実はありません」 『真田丸』時代考証の丸..」 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: こんなところかな。なお稲が冒頭で「酒井様がお見えに」といっているのは、交友関係のある適当な大名がいますかと聞かれ、じゃあ大坂の陣後に信吉が正室を迎える酒井はどうでしょう?という感じで。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 石合十蔵。個人的に一番難儀したのが一言での説明です。石合家は長窪宿の「本陣」(参勤交代時に大名が宿泊する宿屋の経営者)で、長窪の最有力者のひとりなのですが、厳密には村役人ではない。ただ、この説明をドラマでするのは困難で、「名主にしましょう」とご…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 信之は93歳の長命を保ちますが、慶長4?5年、慶長16年?元和2年と体調を崩しています。この時は沼田で療養していたのですが、江戸に出府して幕府から公式に病気認定をしてもらい、大坂の陣では江戸屋敷で病臥していました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 大坂屋敷の兵糧米没収。福島正則には許可をとったという話が伝わっています。正則もそれをみこして、わざと多めの兵糧米を大坂屋敷に入れておいたともいいます。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 秀頼の呼称。「右大臣」「秀頼公」を織り交ぜますが、ベースは「殿様」です。主人公である信繁が、小山田茂誠・之知親子に送った書状で「殿様」と呼んでいるので。家康は「大御所様」、秀忠は「上様」としています。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 大坂方が作った牢人のリスト。NHKスタッフの方が作った下敷きに考証サイドで意見を加えたのですが、個人的に「大谷大学吉治」を目立つ場所に、と御願いしました。吉継の弟で、養子です。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 信繁の変装。入城時に山伏のような格好をしていて、誰だか分からなかったという軍記物の話と、信繁自身が九度山から小山田茂誠に出した書状で「はなともぬけ申候、ひけなとも、くろきハあまり無之候」とあるのがベースです。後者を使うとはまったく意表を突かれま…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 考証に際し、問題になったのは信繁が飲んだ振りをしているのは「清酒でよいか」(つまり「これは水じゃ!」でよいか)という点でした。この時代、清酒はもう存在しましたが、九度山での入手は難しいだろうということで、どぶろくに。じゃあ白く見えるのはというこ…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 九度山脱出。村人達を招いて宴会を開き、酔いつぶして脱出したという話と、九度山から大坂にいった百姓もいる(これは「蜂須賀家文書」のなかにある『乱取帳』に紀伊出身の信繁草履取りがいることから裏付けがとれる)話がベースです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 竹本義太夫。前にもツイートしましたが、浅野家臣のなかで、高野山との交渉を担当した人物リストを御渡しし、その結果決まりました。実在の浅野家臣です。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 当時の史料をみると、信直は幸道家督相続後、信之に頻繁に病気見舞いの書状を出しており、信之死去に際しては、形見分けを差配しています。ようするに、信之・信直の仲は最後まで良好でして、関係が悪化した形跡がありません。また、信直が幕閣に家督相続運動をし…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: なお、TLを拝見していたら、最終的に「真田騒動」(信政死後、信政末子幸道と信吉次男信直(信利は誤伝)が家督を争い、信之が収める)が起こって折角の配慮が…というツイートが散見されました。実はこの話は、信直が沼田藩を改易された後に生まれた創作で、史…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 信吉が「稲の養子」扱いで信之嫡男となったことで、諸系図にある生母は1)信綱娘(本作での「こう」)説、2)家の女(侍女)説、3)稲説すべてが出そろった形になりました。諸説あるのをこのように料理されるとは、と唸らされました。しんみりとしていていい話…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 信吉・信政嫡男問題。本当はもう従五位下河内守・同内記に任官しているので(『真田家御事蹟稿』が元和二年任官とするのは誤り)、将軍お目見えも済んでいるはずなのですが、話があっちにいったりこっちにきたりしてしまうので、すへの縁談も含め、国許の話は今回…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 後藤又兵衛は正しい実名は正親、毛利勝永は正しい実名を吉政というのですが、ここまで変えてしまうと混乱しますので、通説準拠となりました。なお、「毛利」の読みも「もり」が正しいのですが、これは毛利輝元も同じでして、こちらも片方だけ直すのは…という判断…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 「真田丸」最終章スタートです。紀行の曲も変更となりました。今回の下準備から、東洋大の柴裕之氏と日本大の小川雄氏にオフィシャルな形で御助力を仰いでおります(適宜、「資料提供」とOPクレジットで入ります)。まあそれまでも頻繁に電話で相談にのっていた…
@prisonerofroad: RT @bigburn: 労基法を守ってない企業の方がおかしいんだよ。刑務所より辛いシャバってなんだよ… / “受刑者の労働 楽すぎ? 出所者雇う企業から批判 1日7時間、休日も多く - 西日本新聞” URL
@prisonerofroad: RT @moltoke_Rumia1p: 公務員の給与下げても君に金が入る訳ではない。むしろ大阪の事例みたいに消費が滞り(公務員も消費者)、公務員給与を参考にしていた中小企業が連動して賃下げしてしまい、その地域の景気が悪くなってむしろ君の生活が苦しくなる可能性も十分あり得る。一…
@prisonerofroad: RT @056196d81f4245a: アニメの『ドリフターズ』への、海外の人の感想を読んでた。『薩摩ってのはなんなの?』『どういう場所?』『日本人にとって薩摩とはどんなイメージ?』『俺らで言うテキサスみたいなもんじゃない?』『なるほど!わかりやすい!』え、…
@prisonerofroad: RT @che_ko1600: 関ヶ原帰る前、吉継公のお墓の途中で前からヤマコー治部が歩いてきてさ、ビックリして後ずさったら道が陥没して転倒。すごい恥ずかしかったけど治部殿が「大丈夫?」「足捻った?」って言ってくれてあああああああ!ってね、優しさと嬉しさとそれをまた治部のお姿…
@prisonerofroad: RT @oguri_sakura: LINELIVEの配信が終わり、吉継公のお墓から山道を下っていた時のこと。山本耕史さんが、道の横に立っていた女性に「足大丈夫ですか?」と声をかけられていました。その方は少し足を痛めたのか休まれていたご様子。すぐに気がつき声をかけられた山本さ…
@prisonerofroad: RT @repserc: 今なにげなく見てたTBSのバラエティ「7時にあいましょう」で耳を疑う画面が。「明智光秀が中国に出兵を命じられてた」「当時の中国大陸は激戦地」っていったい?本州の中国地方(毛利の勢力範囲)の間違いだろう?!テレビ局の人たちはちゃんと勉強してるのかぁ?
@prisonerofroad: RT @hayumakurosawa: 「きらきら」という単語は戦国時代、銃火激しく火線が飛び交って目がくらむように眩しい時の描写にも用いられました。なので「きらきら輝いて綺麗だね」という言葉は、この人たちの場合、今とは全く違う意味になります。#真田丸 URL…
@prisonerofroad: RT @Jiraygyo: 英国でヘイスティングスの戦いを再現、950周年で熱気ひとしお URL @Reuters_co_jpさんから 弓矢や剣、槍などで「武装」した中世愛好家数千人が参加した戦い再現←数千人とか凄え!
@prisonerofroad: RT @tadataru: ヤンデレ妻が「あたしも戦う」っつった場面、センス悪い脚本や演出なら梅ちゃんをフラッシュバックさせてたかもしれんよな。あえて語らないのは視聴者を信頼してる証拠で、こういうのがあんまり最近の大河はなかったと思うのねん。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @yougoha @toronei そういう豊臣家の中の権力闘争が結果として大事に成ったのが大阪の陣、という面は大きいのでしょうね。
@prisonerofroad: RT @yougoha: @1059kanri @toronei 実際治長家臣の米村権右衛門の証言で、片桐と大野の仲が拗れた一因は、大野が反対していた大仏殿再建を片桐が一任されて取り仕切るのが気に入らなかったというのがありますしね
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @toronei @yougoha あの時期の豊臣家って、何でもかんでも片桐且元が前に出ていて、おそらく且元を通さないと何も決まらない状況になっていたのだと思われます。
@prisonerofroad: RT @toronei: .@1059kanri @yougoha 現代の政界でもよくあることですわなあ。反対派が権力取った途端に転じるってやつ。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @yougoha あの時期の片桐且元は、豊臣家内で権力を持ちすぎた、ということへの反発が有ったかもしれません。
@prisonerofroad: RT @yougoha: 大野治長再評価において厳しいところは「何故片桐を追い出したのに後になってからその片桐と同じことをしているのか」ってとこだよなぁ
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @tateita_HI 家康本人の登場で文字通り西軍は腰砕けした、という事なのですね。
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: @1059kanri 東軍勝利の波はいくつかありますが、岐阜落城の次くらいに家康上洛がウェイトを占めていそうです。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @tateita_HI なるほど!本当に裏でのギリギリの攻防の結果としての関ヶ原だったのですね。
@prisonerofroad: RT @tateita_HI: @1059kanri 実は南宮山の毛利勢が東軍に通じたのも結構ギリギリだったようです。清須辺りでは家康は自身の兵で南宮山の毛利勢を討つ気満々だったとか。
@prisonerofroad: RT @yougoha: 二の丸事件で広家に宛てた輝元さんの「隆景に折檻されたので二の丸は返すことにしました。そりゃまあ?こっちにも非がないこともないとは思いますけど?隆景の言う通りにしたからウチの評判悪くなるなー!」といった内容の書状は光成先生にも「こいつ何で怒られたか理解し…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @yuuraku 実は大阪の陣も、政治的な部分は相当修正されつつありますね。なにせ大阪の陣で徳川家康の「二大謀略」とされた方広寺鐘銘事件の「難癖」と、冬の陣講和の後の「惣堀埋め立て」が、どちらも謀略ではないとされている昨今ですから。
@prisonerofroad: RT @kankimura: ある所にプロ野球チームがありました。「大谷を打てるバッターはいない」投手を宣伝する時にはそう言いました。また打者を宣伝する時には「大谷に打てない投手はいない」と言いました。ある客が聞きました。「投手大谷を打者大谷は打てるのか?」それから矛盾の事を大…
@prisonerofroad: RT @tyuusyo: 新田一郎先生の『相撲の歴史』(講談社学術文庫)はマジで名著だと思います。何しろ相撲を取るために東大を留年した人が書いているんだからやはり気迫が違う。「東大相撲部は、国公立大学の中では無敵の強さを誇っており」「新田部長はほぼ毎日稽古に来られます」(東大相…
@prisonerofroad: RT @mknhrk: 幸村「父さ?んが?くれた?あの?謀略?母さ?んが?くれた?あの?経歴詐称」
@prisonerofroad: RT @arien0727: なにげにNIKEのダンスと顔芸がキレッキレだった件#真田丸 #踊れる爺 URL
@prisonerofroad: RT @72yokoshin: 源次郎達が雁金踊りを歌いながら一人また一人消えていくってやつの元ネタはもしや『サウンド・オブ・ミュージック』終盤にナチから亡命するトラップ一家が音楽祭で『さようならごきげんよう』を歌いながら一人一人消えていくやつではないか…。村長が見逃す→修道女…
@prisonerofroad: RT @Ck88Seed: 真田丸で大阪に集まる浪人衆に対しての景勝様の意見URL
@prisonerofroad: RT @harukooo6v6: 真田幸村「今日はー伊達くんにーいいたいことがーありまぁぁぁす」伊達政宗「なーにー?!」真田幸村「うちのーむすめにーセクハラ発言をーしたそうですねーー」URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @nonomaru116 豊臣家に対して家康は終始甘かったわけですが、そこが豊臣家自身を勘違いさせちゃったところがあるのでしょうね
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 井伊家の家督も未だ継いでいない、伏見在番してた頃の井伊直孝が、「大阪と合戦起こらないかなー。そしたら俺が秀頼の首取ってやるのに。」と言っていたなんて話が残っていますが、あれなんて幕府旗本の豊臣家の厚遇への不満を象徴させた話じゃないかなーと思ってみたり
@prisonerofroad: RT @mknhrk: 今の大坂城、大坂城や秀頼と一緒に死ぬぜ派ばっかで、そいつらに「戦しようね」って言われて「頑張って勝とうね」って返しちゃってる秀頼ぼっちゃんという、肝が冷える世界だ……。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 江戸幕府の視点から見ると大坂の陣の豊臣家は「あんな生きてるだけで丸儲けみたいな高待遇与えてたのに何で反抗するのかわけがわからん」って感想を持ったと思います。大阪の陣以前の徳川旗本の豊臣家への反感って、無駄に厚遇を受けていた事に対する物でしょうね。
@prisonerofroad: RT @4SX9iJDihw: あの「家康秀忠と殺し合いをしましょう!」って内容を爽やかな笑顔に包んだ演説に対して、わー頼もしー幸村来てくれてよかったーって反応だった秀頼は、もうおぉ…っていうね。そりゃ大野も顔色変わるよ
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @yougoha 後藤又兵衛は逸話だけ見ても、明らかに講和派で、彼を重用していた大野治長の考えも見えてくるって物です。
@prisonerofroad: RT @yougoha: そりゃまあ?「死に華咲かすために入城した漢」後藤又兵衛ってのを信じたい人間にとっては?「コネだけの無能の癖に浪人衆見下して日和って和睦主張する」大野治長と懇意だったって事実は認めたくないだろうなって?
@prisonerofroad: RT @gudom_rext: 立場が人を育てると信之は言っていましたが、立場が重すぎるとこうなります。 #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 今週の #真田丸 の最後の方、信繁の兵糧奪取の提案に大野治長が表情を変えたシーン、アレにはおそらく二種類解釈があって、一つは信繁が自分以上の提案をしたことへの嫉妬、もう一つは「そんなことやったらこの合戦がガチになって収集がつかなくなるだろ」と懸念し…
@prisonerofroad: RT @tenkawa_shinji: マジで魅力的だよ、大野治長! 幸村の美談を持ち上げる為に、治長が合戦の経験もないバカだったせいで大坂の陣は負けたとか断言した某番組は絶対許さねぇからな。
@prisonerofroad: RT @yougoha: と言うかさあ!百歩譲って大野治長の大坂の陣での行動を非難するのはまだいいけど「武勇のない文弱」みたいな表現すんのってそれ単に勉強不足表明してるだけじゃねぇの!?むしろ文官的働きのほうが怪しいわ!(フォローしてんのか)
@prisonerofroad: RT @yougoha: 当時ですら悪印象からの風評被害で忠興や家久にあることないことまでボロクソに言われる中、治長を褒めたのは家康公くらいやでぇ……。やはりぼくは大権現様派ですね
@prisonerofroad: RT @take_nakanishi: @1059kanri 後藤又兵衛は大野治長と親しく、入城後に姻威関係も結んでいて治長の講和策にも賛同していた……ということは配役から類推して今回も描かれそうにないのが残念です。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @urakkun26: @1059kanri 中山道を封鎖された西軍が撤退に失敗して豊臣内の反石田派諸将に殲滅されただけかもという。しかも、笹尾山に陣地構築の痕跡がないとも報告されています。これら仮説が傍証されてきたら、もはや伝説が入り込む余地がない。つくづく参謀本部地図…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @urakkun26 関が原に関しては、かなり身も蓋もない実像が表れつつありますね
@prisonerofroad: RT @mori1582oran: 森家の旗、勢揃い! #若獅子蘭丸2016 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 今回の #真田丸 を見て、ニュアンス的に、大阪城の中にも大野治長をはじめとして「勝てるわけがないのでそこそこで上手く手打ちを」というグループと、信繁など「絶対勝つ」グループに別れていて、何より問題なのは秀頼が無邪気に「絶対勝つ」グループなことだなあ…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @xiaoke_As 秀頼を敗北に至らしめたものを「奸臣」と呼ぶのなら、それは木村長門や渡辺糺といった、世間的に評価されている人たちの方ですね
@prisonerofroad: RT @mizunosyuhei: あれは鎌倉公方(古河公方)家だから、足利将軍家とも微妙に違うんやで。言うなれば、尾張徳川家や紀州徳川家を徳川将軍家の末裔というレベルの微妙さ加減。 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: しかし考えてみれば豊臣家って、徳川との交渉をまとめていた片桐且元が反対派に襲撃される→大阪冬の陣、徳川との講話をまとめた大野治長が反対派に襲撃される→大阪夏の陣。同じパターンと言えばいえますね。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 大阪敗北の現況にように叩かれることが多い大野治長ですが、個人的には大阪城内でちゃんと現実が見えて政治力も有った人物だと評価しています。実は徳川家康もかなり本気で大野を評価していたフシがあります #真田丸
@prisonerofroad: RT @mitukane1: 刑部様、治部様来てくれたよ、よかったね。#真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 大野治長や信繁の兵糧収集案が、購入か略奪のどちらかしか無かったのは、豊臣家は領内からの年貢収集まで徳川から派遣される代官に頼っていたため、徳川に反抗すると、それを取り込むことができなくなったから、というのも表しているのかも #真田丸
@prisonerofroad: RT @take_nakanishi: 後藤又兵衛は常々「軍法ハ聖人賢人の作法にて、常よく行儀作法をいたし、大将たる人ハ、臣に慈悲ふかく慾を淺く」すべしと周囲に話していたという(「長澤聞書」)。儀式礼法に関して大坂城中で又兵衛の右に出る者はなかったとも。しかし、そんな又兵衛像は…
@prisonerofroad: RT @FlatDefense: 秀頼「兵の数は?」大野「沢山でございます、十万」秀頼「兵糧は?」大野「沢山ございます、大丈夫です」幸村「石田殿、大谷殿、助けてください…」 #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @Jiraygyo: #真田丸 「一誠」を捧げるために、老人のふりをしたり、昌幸の手柄を自分のものにしたりするなど、さまざまな術策を弄せねばならなかったところに、真の『真田丸』における「左衛門佐幸村」の立場がうかがえる。これがわかっていたから信繁は最期まで迷っていたのだろ…
@prisonerofroad: RT @do294: 幸村「堺を抑えましょう」修理「早速手配します」で、各大名家の兵糧米抑えた挙句徳川の米も抑えたはいいが、「そんなに困っているなら持っていっていいよ」と言われて「べ、別に困っとらんわ!」と突っ返す事になる大野修理。ちなみに持ってけと言ったのは名奉行と後世…
@prisonerofroad: RT @k_hisane: 今回の真田丸、前回「幸村」を名乗ったところから、幸村パートは意図的に史実と創作を混ぜ込んだ展開にしてますが、明確にそれを印象付けたのは「上田城で徳川を退けたのは実は私」と言い張ったシーンで砂。ここから先、どういうラストになるか、読めなくなってきました…
@prisonerofroad: RT @yosinotennin: 家康様「なにゆえに滅びを選ぶ」第二話の「ひとはなにゆえ滅ぶのか」のリフレイン。この方の武将としての人生は、きっとこの問いかけの連続だった。#真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: このブラフはまさしく昌幸ゆずりw #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 大野は秀頼を、上様ではなく「殿様」と呼ぶのですね #真田丸
@prisonerofroad: RT @shimeji_b: 服部半蔵、父親仕込みの押し通り戦法っょぃ #真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @paranoia_starrr: 伊賀忍者の奥義に驚くクラスタの皆さん(画像はイメージです)#真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 真田信繁が大阪城に入城した時、白髪で歯も抜け、腰も曲がった老人のような姿だったという記録がほんとうにあります。それをこう使うとは #真田丸
@prisonerofroad: RT @kanadorama: #真田丸 遠い過去、おこうさんの時は室賀殿暗殺。そして今回は九度山脱出。雁金踊りは何かを欺く時の符丁!
@prisonerofroad: RT @nonomaru116: 吉宗「そのとおりそのとおり」 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: おこうさんの演技がもう、本当に素晴らしい #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 信之は世間がちゃんとわかっているから、即座に豊臣の終わりを断言したのですね #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: この時期信之が病に臥せっていたのは史実ですね #真田丸
@prisonerofroad: RT @hutakigusa: 実際家康様は、豊臣家は基本的に生かす方針を取りながら、同時に豊臣家がなんかちょっとでも変なことしたら滅ぼせるようにはしてましたよね。 #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 家康が秀頼を滅ぼしたくなかった、というのは最近の研究を反映していますね #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 後藤又兵衛はじめ金で集められた浪人たちを、「太閤殿下恩顧」と秀頼に説明している所がもう #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 着到状、ですね #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 『テンプレのような既存の明智光秀像』を批判するのに、それこそテンプレそのものの『保守的で文化人の明智光秀』という光秀像を提示するのはどうなのかなー、とゴニョゴニョしてしまうのですゴニョ。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @tsubataroh それも、近衛前久の書状では、毛利は大幅な減封されることも認めた上で大阪城を退去したと書いているので、「騙された」というのはむしろ毛利家中向けの言い訳ではないかと
@prisonerofroad: RT @tsubataroh: @1059kanri やー。従来の「通説」からするとなかなか衝撃的な内容。ただ、輝元は家康に戦後いっぱい喰わされたということになりますか
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @tsubataroh 実は割れていなかったと見るべきでしょうね、関ヶ原の毛利は。東軍への内通も、輝元自身の指示です。安国寺恵瓊が切り捨てられただけで。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 豊臣家の内輪の揉め事に無理やり徳川を搦めている感はある
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 江戸時代の秀次認識はあくまで秀吉の作った認識を継承しただけで、徳川が秀次を悪く言ったってのはどうなのかなあうーんうーん URL
@prisonerofroad: RT @GunsNRoses184: 信繁の生涯のパートナー(結婚するとは言ってない)#真田丸 URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 最近の関ヶ原認識の大まかな流れは、「東軍・小早川秀秋が松尾山城を占拠」→「これにより近江への入り口を塞がれたため、西軍は松尾山城攻めへ、南宮山の軍勢は東軍の抑え」→「東軍は既に南宮山勢と通じており、そのまま西軍主力を追撃」→「関ヶ原で激突」こんな感…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: @naotora_love というか信長だって朝廷に上がれば、お歯黒着けて自分のことをマロって言ってたはずです。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 関ヶ原合戦について、有名な旧参謀本部制作の布陣図はほぼ間違っているという認識となり、かと言って「実際にはどんな布陣だったのか」は未だ諸説乱れる研究途中で、今は、関ヶ原本戦については一から構築のし直し、みたいな所がありますね。そこが面白くもあります。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: ドラマなどで将軍などの武士に近侍する公家が描かれる場合、立烏帽子に狩衣姿の、いかにもな公家装束になりがちですが、実は鎌倉室町時代、武家に近侍する公家は、直垂姿のいわゆる侍装束で傍に控えたそうで、見た目からは武士か公家かの区別はつかなかったようです…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: しかしアレが伊賀忍者秘伝の技だったとはなあ… #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: #真田丸 の嬉しい所は、見続けた視聴者がきちんと楽しめるシーンをちゃんと入れているところだなあ
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 面白かった…。いよいよ大乱が始まる #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: これは昌幸のDNA #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 兄上の冷徹な現状認識 #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: すごい。大名の「正妻」の仕事をワンシーンとは言えちゃんと描いてる! #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 家康の言葉が重い #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 牢人だらけで秩序も何もない大阪城 #真田丸
@prisonerofroad: RT @anbivarent: あれ!?w僕らは知ってる!この人を知ってるぞ!!www URL
@prisonerofroad: “TVアニメ『響け!ユーフォニアム2』 第三回 予告” URL #響け!ユーフォニアム #animation
@prisonerofroad: 2件のコメント URL “響け!ユーフォニアム2 第2話「とまどいフルート」 アニメ/動画 - ニコニコ動画” URL #響け!ユーフォニアム #animation
@prisonerofroad: “花澤香菜「『3月のライオン』のひなちゃんは、憧れの女の子」|『3月のライオン』アニメ化記念、花澤香菜インタビュー|花澤香菜|cakes(ケイクス)” URL #3月のライオン #interview
@prisonerofroad: “世界一だった日本卓球が長期低迷に陥った理由 卓球日本女子監督・村上恭和氏に聞く(第2回)|情熱クロスロード?プロフェッショナルの決断|ダイヤモンド・オンライン” URL #卓球
@prisonerofroad: “砂漠に吹く風が勝負を決めた世界タイトル争奪戦 サガンが史上6人目の大会連覇 | cyclowired” URL #cycleroadrace
@prisonerofroad: “福原愛、リオ五輪「涙のエッジボール」猛抗議の舞台裏 日本女子卓球監督・村上恭和氏に聞く(第1回)|情熱クロスロード?プロフェッショナルの決断|ダイヤモンド・オンライン” URL #卓球
@prisonerofroad: RT @baatarism: 刑務所の中の方が良心的な雇用形態だったのに、それを圧力で潰そうとする娑婆の企業か。 / “受刑者の労働 楽すぎ? 出所者雇う企業から批判 1日7時間、休日も多く - 西日本新聞” URL