保守派への公開書簡

試訳として一端こっちに上げます。ツッコミはtwitterでも受け付けます。
原文はScott SumnerのAn open letter to conservatives(November 16th, 2010)です。彼は、普段はシカゴで教育を受けたリバタリアンのインフレタカ派だが、1世紀に2回、アービング・フィッシャー・スーパーヒーロースーツを身に纏って出動するような人です。

最近、保守派からのQEに対する反動が沢山湧き起こっている。この記事で私は保守派でも多くの人が金融緩和による景気刺激策を支持していることを指摘した。ここで私は、右翼の同胞たちに、七つの反対論を述べたい:


1. Fedは実際にインフレを引き起こそうとはしていない


Fedは直接にはインフレをコントロールせず、総名目支出に影響を及ぼす。総名目支出とは、大まかに言って、ケインジアンが総需要と呼ぶものの事だ。より高い名目支出が、より高いインフレをもたらすかどうかは、経済に多くの遊休資源があるかどうかなどの、数多くの要素に依存する。しかし、名目GDPの増分がどのようなものであっても、Fedがその中でより高い実質GDP成長と、より低いインフレを好むのは間違いない。QE2の後でさえ、Fedは未だに、長期にわたる2%未満のインフレを予想している。Fedに何らかのマーケティングセンスがあれば、彼らは、生活費を上げることによってではなく国民所得を増加させることによって回復を押し上げようとしている、と人々に言っているだろう。その事はまた、正直であるという美徳にも適うだろう。


2. “でも、お金をたくさん刷ると高インフレが引き起こされる、というのは経済理論が教えるところじゃないの?”


一般的には事実だが、3つの重要な例外がある:


1. マネー注入が一時的であると予想されている場合は、インフレ効果は遥かに小さい。日本の中央銀行は、2003年に大量のQEをやったが、デフレが終わった2006年に注入したマネーの多くを引っ込めた。これは、高インフレを防ぐのに機能したが、実際のところ機能しすぎてしまったのかもしれない。


2. ほぼゼロ金利なら、人々はより多くの流動性を求める。Fedは物価水準にほとんど影響を与える事なく流動性を供給できる。


3. Fedが準備預金に利息を支払うなら、貨幣数量理論(より多くのお金が、より高いインフレを意味する)は必ずしも成立しない。最近になって、彼らは準備預金に利息を支払う事を始めたが、この事は、なぜ2008年からの(マネーの)大注入でインフレ圧力が生じなかったのかという事の理由の一つだ。Fedは必要に応じて準備預金金利を調整できるし、実を言うと私の見解では、より低い準備預金金利はQE2をより効果的にするだろう。


3. “でも、金市場は高インフレのシグナルを発しているんじゃないの?”


事によってはね、だが物価連動債市場が二つの理由で金価格より優れている。まず、金はグローバル市場で取引されているが、我々の興味はアメリカのインフレにある。さらに重要なことに、金価格はあらゆる種類の要素(アジアにおける産業需要、中央銀行の需要、金鉱の新発見が最近減少している事、ユーロ圏の混乱を含むあらゆる種類の金融リスクに対するヘッジ)を反映する。その上、最近でも2008年の終わり以来のアメリカの低インフレを正しく予測したように、物価連動債市場(TIPSスプレッド)は金よりも正確だ。


4. “お金を刷るのは経済における本当の(構造的な)問題を覆い隠すだけじゃないの?”


構造問題は存在しているが、名目GDPの不足もまた存在している。住宅建設が一気に減少した結果として、2007年終わりから2008年初めにかけて成長が減速したとき、構造問題が剥き出しになった。これは資源の必要な再配分であり、抵抗すべきではない。だが、フリードリヒ・ハイエクでさえ、我々は「二次的デフレ」を避ける必要があると提言したのだ。「二次的デフレ」とは、名目GDPの崩落として顕れ、過剰拡大していなかった健康な産業においてさえ産出を押し下げるというものだ。2008年終わりに名目GDPが落ち込んだ時、産出は全面的に低下した。金融政策は、構造問題ではなく総名目支出の欠如に対処できるだけだ。また、より多くの名目支出は雇用を押し上げるだろうし、その事は、構造問題の一つである99週間に延長された失業保険給付を議会が終了させる時期を早めるだろう。


5. “お金を中央集権的に計画できるって考えはただの傲慢なんじゃないの?”


ほとんどの右翼の経済学者は裁量を中央銀行に与えるという考えに不快感を持つ。私も例外ではない。低く安定した成長率に名目GDP成長予想を安定化する方法として、ドルを名目GDP先物契約に転換可能にすることに私は賛成だミルトン・フリードマンは安定したマネーサプライ成長率を好んだが、(貨幣流通速度が大きく変動した後の)彼のキャリアの晩年には、物価連動債市場におけるインフレについての市場予想を安定化させる政策を是認した。これらの方式で、Fedではなく、市場が経済の必要に応じたマネーの適正水準を決定できるだろう。だが、我々はまだそこには至っておらず、裁量を用いるFedを与えられている。フリードマンは、最も損害を少なくすると彼が思った政策を推奨する事をまったく躊躇わなかった。私はそれが安定した名目GDP成長予想であると信じる。


6. 景気刺激策に関する保守派の批判は支離滅裂だ


私が2009年初めにブログを始めたとき、財政出動による景気刺激策は白熱する論題だった。多くの保守派は、財政刺激策は失敗するだろうと主張して(私の見解ではこれは正しい)、それに反対していた。そして彼らは、「失敗」が「赤字支出が名目支出を押し上げることに失敗する事」を意味するという事をかなりはっきりと表明していた。名目値で見てより多くの産出が望ましいという事が(ほぼすべての人が同意した)暗黙の前提で、財政刺激策ではそれをもたらすことが出来ないというのが彼らの主張だった。ところが金融刺激策についてとなると、右派はまったく反対の主張をしている――彼らは、「QEが名目GDPを押し上げるのに成功するだろう」という理由でQEに反対するのだ。財政出動及び金融緩和による景気刺激策は両方とも(それらがきちんと機能するとして)総需要曲線を右方シフトすることにより名目GDPを押し上げる。もちろん、追加された支出がインフレとして現れるか実質成長として現れるかどうかは重要な問題だ。だが、名目GDPを押し上げないだろうから財政刺激策が失敗すると主張するのと同時に、名目GDPを増加させるだろうから金融刺激策が失敗すると主張するのはどう考えてもおかしい。きっと右派は自分たちの見解をそういった観点から見ていないのだろうが、彼らが発しているメッセージは実質的にはさっき述べたような内容であり、それは極めて支離滅裂なメッセージなのだ。


7. “金融刺激策はオバマ政権の失敗を覆い隠して、彼を再選させちゃうだけじゃないの?”


それは道義をわきまえた保守派に値しない主張だ。30年間にわたって世界中において(スウェーデンにおいてさえ!)数多くのネオリベラルな改革が行われた後なんだから、政府による統治が改善する可能性について、保守派は敗北主義を引っ込めるべき時だ。我々は正しいことを為す必要がある。政治的な結果がどうなろうともね。もし金融刺激策が実行され、名目GDPを押し上げるのに成功したら(保守派がインフレを心配するとき、それが起こせるってことを彼らが暗に認めている事になるのだが)、それは(将来の不況時の)クルーグマン流の財政刺激論の心臓部に杭を打ち込んで貫くだろう。


当時、保守派は気付いていなかったと思うが、2008年終わりから2009年初めにかけて、私(と他の何人かの擬似マネタリスト)は財政刺激策に反対する主張を最も強く行っていた。我々は言った――「そう、景気刺激は必要だが、金融刺激策は赤字支出と比べてはるかに効果的でコストも少ないんだよ。」当時、左派のほとんどは、金利がゼロ近くになると金融刺激策が効かないだろうと主張した。さて、金利は未だゼロ近くにあるが、今となってはその同じリベラル派の多くがFedは総需要不足を解決する責任があると主張している。彼らはこちら側に宗旨替えしたのだ。ちょうど、フリードマン/シュワルツの「資本主義の失敗ではなく金融政策の誤りが1929年から1933年の大収縮を引き起こした」という主張を、過去数十年の間に彼らが徐々に受け入れていったように。もし保守派が、金融市場が予想していないのにインフレが来ると予測し続けるなら、予測に失敗したことをクルーグマンから散々バカにされ続けるだろう。もし、我々が金融政策は名目GDPを充分な速度で成長させ続ける適切な方法であるという意見を採用するなら、我々が勝ち、クルーグマンは負ける。さあ、どっちがお望みかね?