2016年03月07日のツイート
@prisonerofroad: 止まらぬバルサ、無双メッシ:エイバル戦 URL
@prisonerofroad: "これは確信犯的に史実を変えているところになります。実際は、織田信雄・信孝兄弟から徳川家康に早期の和睦が要請され、それをうけて家康から北条氏政に和睦が持ちかけられたのでした。" / “大河ドラマ「真田丸」ワンポ…” URL #history
@prisonerofroad: RT @saki_Historic: 真田信繁のイメージは知将か猛将かって意見が分かれるんじゃないだろうか。さきさんは猛将のイメージを持っている。
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 誰がどう見ても不倶戴天の敵同士だった北条と上杉が講和、同盟した時には、関東の国衆、特に上杉方の国衆は本気で驚愕したようですね。そして以後上杉のことをまともに信用しなくなるというw
@prisonerofroad: 23件のコメント URL “女子現代メディア文化研究会: ?国連女子差別撤廃委員会、「日本における女性の権利」保障? 議題「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」についての意見書” URL
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 真田昌幸の限界は、信玄の模倣以上のことが出来なかった部分だと、わりと真面目に思っている #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 武田信玄に見出され、信玄によって育てられたのが昌幸だものなあ #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: まあ考えてみれば、いま真田昌幸がやろうとしていることは、50年前に毛利元就がやったことなわけですな #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 信濃国は鎌倉時代、鎌倉北条氏の本拠の一つであり、そのことが室町?戦国時代、色々と後遺症を起こしたわけですね #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 信濃って昔から、良く言えば多様性に満ちていて、悪く言えばバラバラだからなあ #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 「山城の国一揆」は、昨今ではその国一揆の主要メンバーが京兆家被官であることこから、細川京兆家による畠山勢力排除だったともいわれたりしてますね #真田丸
@prisonerofroad: RT @1059kanri: 元亀4年7月の、織田信長による足利義昭追放で室町幕府滅亡と言われますが、九州では織田信長派の大友氏が、足利義昭派の毛利と島津に挟撃されてフルボッコにされてたりするので一筋縄ではいかない。
@prisonerofroad: RT @k_hisane: これ見て思ったが、#真田丸 が受けてる一因は、「馬鹿が少ない」こともあるのかなと。結末としては破滅に至る行動を取った人物にしても、その人物なりの考えや都合があっての上での行動なので、哀れには思いこそすれ、馬鹿にする気は起きませんし。 https://…
@prisonerofroad: RT @yougoha: 真田魂読み返して今更になって「これがあの高畑淳子になるのか……」ということに気づき遠い目をしてしまった URL
@prisonerofroad: RT @saki_Historic: これまでの『真田丸』を通して感じるのは「真田の小ささ」です。いくら策を講じようと大勢力同士が頭の上でしていることには介入できない。北条氏政と上杉景勝が真田昌幸の裏切りに戦局を振り回されながらも悠然と構えていたのは、それが局所的な問題に過ぎな…
@prisonerofroad: RT @seitenhyohyo: ムリョウは放送当時は赤字でしたが、見ていてくれた皆さんが大きくなってビデオグラムや配信にお金を払ってくれるようになって15年かけて黒字になりました。「誰も知ってる奴いねー。俺だけだ」そう言ってる人が全国に沢山いるおかげです。ありがとう!
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: これによって、自分の行動は「裏切り」ではなく、悪いのは相手だと主張して、味方を募るわけです。もちろん、効果の程は知れていますが…。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 昨日の大河で、北条氏政が読んでいたのは「手切の一札」というものです。当時すべての同盟ではないですが、同盟・従属関係を破棄する際には、「手切の一札」を相手だけでなく関係者に送付するという慣習がありました。内容は、いかに相手が酷いことをし、やむを得…
@prisonerofroad: RT @y_urimyn: 天正壬午の乱をまともにやろうとすると、太平記並にみんながみんなあっちこっち都合のいい方については裏切るのでぐちゃぐちゃになる
@prisonerofroad: RT @y_urimyn: 実際のところ、天正壬午の乱はもっと複雑で、国衆は全員生き残りをかけてそれこそ昌幸と同じくらい二転三転を繰り返しているんだが、真田を真ん中に据えて無駄を極力そぎおとすことでとても分かりやすく描いてる
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: わ、誤解している人が出ている。戦国時代に今で言うところの「ハグ」はないので、抱き合う演出をするのなら、今回の和睦のシーンのようであってほしい、今回のシーンは、和睦という公式な場で抱き合う演出をしたいということなので、きっちりしましょうという話し…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 失礼。前回ナレーションで話したのは「国衆達の独立国家」でした。台本修正で「共和国」をやめてもらったのを忘れていました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: いや、あれは完全に演出の問題で、もし抱き合う演技をするならああしろ、という話しです。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 戦国大名は自分自身を「国家」と主張し、滅亡の危機に際しては、「御国に住む者の務め」として(出陣義務のない)百姓の緊急動員令を出す姿に行き着きますが、これも「幻想の共有」の押しつけということになります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: したがって戦国大名や国衆といった領域権力と、「一揆」(構成員は様々で、国衆一揆の場合もある)の違いというのは、明確なトップが存在するか否か、という点に行き着きます。そして戦国大名も「家臣に奉戴」されているわけで、ある意味では「一揆」の盟主と評価…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: したがって、その中には実質的な指導層が生じてきますし、「合議」の決定に逆らえば処罰を受けます。しばしば「民主的」なイメージが湧きますが、実際は参加することによって「合議結果の受け入れ」を「強制」されるわけです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 「国衆の寄合」を目指すといいながら、昌幸と室賀が指導的立場にいるように描かれたのは、「一揆」の実態をよく表していました。「一揆」とは「現実には格差がある者同士が、互いが対等であるという『建前』のもとで団結」するいわば「幻想の共有」により成り立ち…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: このあたりが難しいところで、日本史学における研究者の能力というのは、「概念用語の定義」をきちんとしているか、また「他人の定義」を把握した上で議論が展開できているか、というところにあります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 畿内?西国では、「国衆」という用語は村落規模の領主を指して史料上に出てくることが多く、郡規模レベルの領域権力を想定して定義された「国衆」論への懸念が示されるのは、このあたりに原因があります。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: いや、和睦儀礼で抱き合うかはしりませんけどね。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 東国戦国大名論では、そのように把握します。ただ、西国の戦国大名論では、「国衆」という概念用語が採用されておらず、敢えて別の用語(戦国領主等)が用いられています。学界ではまったく統一されていないというのが現状です。 URL…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 日本史学は、史料用語を学術用語に用いるという慣習があり、史料上は「国人」と呼ばれているが、学術用語では「国衆」と評価されたり、史料上は「国衆」と呼ばれているが、学術用語の「国衆」には含まない、ということがありえます。ちょっと問題なんですけどね。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 国人と国衆の違い。ちょっと難しいんですが、実は「国人」というのは本来は室町幕府における身分です。「国衆」は戦国期に成立した領域権力だが、独立してはおらず、戦国大名に従属した存在と定義されています。どちらも史料用語を学術用語に転用しているので、や…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 戦国大名権力を一揆結合と捉える見解は、久留島典子『一揆と戦国大名』(講談社学術文庫)、池享『戦国大名と一揆』(吉川弘文館)を参照。一揆の構成員というのは多様なものですので、「百姓一揆」という古典的イメージは払拭してください。しかしこの2冊、タイ…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 江戸時代の百姓も、脇指をさしていましたよ。刀が禁止されるだけで、それも17世紀半ばです。 URL
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 今日は、信繁の成長譚というべき回なのでしょう。信繁が提案した補給路封鎖作戦は、誰が思いついたかはもちろん不明ですが、昌幸が実際に取った作戦です。これに佐久郡山間部に追い詰められていた依田信蕃(徳川方)が反撃に出て、信濃情勢が一変するわけです。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 堀田作兵衛。きちんと二本差しをしているところを観ていただければ幸甚です。彼は真田家臣ですが、ドラマでは地侍(村の一員だが、武家に軍事奉公をしている)という設定。中世村落において、正規構成員と見なされた男子は、二本差しをしていました。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: なお、もう一度確認しておきますが、大名と国衆の違いは、独立しているかの有無です。家康は、織田政権には従属していますが、織田は中央政権なので、大名扱いで構いません。このため、甲斐侵攻は清須会議において、北条討伐令が出されるのを待って実行に移します…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: したがって、実は「国衆連合」というのは、昌幸が主張するほど「珍しいものではない」ため、それを一言でフォローする必要がありました。でも、複雑な説明をするわけにはいかないので、教科書に載っている事例=聞いた事があるだろうということで、「山城国一揆」…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: さらに最新の研究では、国人一揆からの成り上がりではないパターンでも、戦国大名とは有力者の一揆結合であるという見解が主流です。これは、室町幕府が守護の連合政権であったことを引き継いだ形で、中世後期?末期のひとつの流れでした。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: さて、冒頭で「山城国一揆」の話が出ましたが、これは前回ラストの「国衆共和国」へのフォローです。というのは、戦国大名の成立には2パターンあり、ひとつが守護/守護代が国内制圧(武田・今川・上杉)、もうひとつが国人一揆の盟主からの成り上がり(毛利)で…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 子役を使わないことを訝しんだ方もおられるようですが、このようなシナリオ(主人公が歳を取らない)ため、色々と議論の結果、本役からとなったようです。子役に春日謀殺をやらせるのは厳しいですしね。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 上杉に従属したのは、景勝が川中島を制圧し、深志にまで進出したため。北条に鞍替えしたのは、北条勢が海野平まで侵攻したため。徳川に寝返ったのは、北条が昌幸の要請を拒絶して甲斐に転進したため(これは上杉からの防衛義務を放棄したに等しい)で、ちゃんと政…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 天正10年の動乱をじっくり描こうという初の試みでした。視点が大名ではなく、国衆(大名に従属して生き延びている勢力)というのも珍しいと思います。昌幸はここまで主家を変え続けていますが、あくまで真田家存続のためで、裏切り者というわけではありません。…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 木曾義昌謀叛の一報(1/27甲府に注進)から始まった「真田丸」ですが、今日の和睦が10/29。やっと天正10年の末です。次回の途中で年が改まります。ようするに、信繁は一歳も年をといっていません。
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: なお、家康と氏政が不思議な形で腕を組んでいましたが、あれが戦国期の抱擁だそうです。本当は「ハグ」は駄目なんですが、視覚的に感情表現をわかりやすくするためには…、というところなんですね。今回は、正式な和睦儀礼ですので、きちんと作法に則っていただき…
@prisonerofroad: RT @kazumaru_cf: 「真田丸」。今日のラストで北条と徳川が和睦したことで、「天正壬午の乱」は終わりを迎えます。壬午の乱は非常に複雑で、真田の動静をトレースするだけで、あれほどややこしい話しになりました。他の国衆の動向を割愛せざるを得なかった理由です。詳細は、平山さ…
@prisonerofroad: RT @IIMA_Hiroaki: ちなみに、私の答案はこうです。 URL
@prisonerofroad: RT @IIMA_Hiroaki: 日本語史上、「川(かは)」などのハ行をワ行で発音するようになったことは大変化でした。でも、「このごろの若き人の、かは、我はと言ふべきを、かわ、われわと聞こゆるやうに言ふ、いと聞きにくし」などと批判する文献が見当たらない。その理由を述べなさい。…
@prisonerofroad: RT @kojodanjp: #真田丸 昌幸は小県郡をさらには信濃を国衆(くにしゅう)たちの独立国家にしようと考えたようですが、じっさいには信濃には大小様々な国衆がいました。政権交代が起きるときというのはこういう中小政党がキャスティングボートをにぎるんですよね。 https:/…
@prisonerofroad: RT @1059kanri: #真田丸 は、実は今まで合戦シーンが殆ど無いのに、きちんと戦国を表現しているのが、もしかすると一番すごいことかもしれない。
@prisonerofroad: RT @zion_ametista: 家康の免許、皆伝について URL真田丸で好感度急上昇中、愛すべき(めんどくさい)三河武士達の主にして俺達の神君ですが、剣術馬術鉄砲薙刀とどれも免許皆伝の腕前を持つ武術の達人なんですなぁ(´∀`*)
@prisonerofroad: RT @eiitirou: ハリウッドのえらい人達が「このラストで!ラストぐらいではキスシーン撮れよ!!ハリウッド映画のお約束としてキスシーン撮れよ!!」とか注文したのに対して「解ったよ!撮るよ!……本編で使うとは約束してないがな!!」とカットしたギレルモ監督という噂。